〈渡来文化 その美と造形 49〉 東大寺法華堂・国宝仏 |
「法華堂」は、733(天平4)年、良弁僧正が創建した金鐘山金鐘寺の一堂で、東大寺では最古の建物である。華厳宗の根本道場として毎年旧暦3月に法華会が催されるため、「三月堂」とも呼ばれ、国宝である。良弁は百済からの渡来人である。 この堂内の不空羂索観音像は八角壇上に立ち、その左右に日光・月光菩薩像を安置する。その前面に梵天・帝釈天像、さらにその前に二躯の金剛力士像、本尊の後ろに吉祥天・執金剛神、弁財天像を配し、四隅にはそれぞれ四天王像が立つ(傍線は塑像、他は脱活乾漆像)。 脱活乾漆造とは、木や粘土で造った原型に、麻布を麦漆で約1センチほどの厚さに貼り重ね、その上に杉、松などの葉の粉末を混ぜた抹香漆や、麦漆におがくずなどを混ぜた木屎漆を盛り上げて細部を形作る製法で、時間と費用のかかるものであった。いずれも国宝に指定されている。 不空羂索観音像は、額にも縦に目を持つ三眼で広く世の中を見通し、八本の腕は、肘を張り、両手のひらで水晶玉をはさんで合掌する正面にある第一手、仏法に仇なす者を調伏するための羂索、錫杖、蓮華などを持つ、四方に広げられた六本の腕など、その表現は指先にまで力がこもっている。三眼(三目とも)八臂像という。 太く力強い腰と、膝頭を多少外に向け、やや開き気味の足元がしっかりと支える堂々とした体躯は、悩める人々救済への強い意志が表れ、その峻厳な容貌はこの像を拝む人々に一種独特の威圧感を与える。 腕から両側に垂れ下がり、太ももあたりで交差し、腕に絡みながら足元までも包み込む天衣と六本の腕とで作り出される空間は、裳裾の襞とあいまって、豊かな肉体を柔らかく包み込みながら、像全体から厳しさの中にもしなやかな感じをかもし出している。 光背は、放射状に光の筋を発し、火焔をとびとびに配した透かし彫りの舟形で、造像当初からのものである。 銀製鍍金の宝冠は、約3万点の宝石をちりばめそれら宝、玉を綴っている針金もまた銀線である。正面には高さ24センチほどの阿弥陀如来の化仏が置かれている。 法華堂内の像の製作責任者は、東大寺大仏の鋳造責任者であった国中連公麻呂である(『正倉院文書』)。周知のように、彼は百済系渡来人である。 してみると、国宝の堂も諸仏像も、渡来人との関わり無しには存在しえなかった。 心ある人は、奈良探訪のおり、必ず参観されるようおすすめする。圧倒されること必定。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表、権仁燮・大阪大学非常勤講師) [朝鮮新報 2011.4.18] |