top_rogo.gif (16396 bytes)

〈本の紹介〉 徐勝の東アジア平和紀行

共通する同時代性、歴史性を明らかに

 政治犯として韓国で19年の獄中生活を送った筆者が、出獄から現在まで主な仕事として取り組んできたのが、「東アジア」とは何かを明らかにすることだ。

 すなわち、「植民地、冷戦・分断体制に支配されてきた東アジアの民衆とは誰かを探求し、その時代を貫通する戦争と侵略、国家テロリズムで点綴された『米日中心の地域支配秩序』を『民衆中心の地域秩序』へと転換させ、この地域に恒久の平和をもたらす道筋を模索する」(はじめに)ことである。

 筆者はこの間、精力的に沖縄、台湾、済州島、延辺などを訪ねる。沖縄問題を筆者は、日本が明治以後アジア侵略を進める過程で併合されたという朝鮮との共通点を見ながら、アジアとの根本的な和解という脈絡で解決すべきだとする。

 台湾では、日本の植民地支配と独立後のねじれた歴史を、韓国のそれと重ねながら歩く。済州島、延辺しかり。日本の敗戦以前だけでなく以後も続く東アジアの諸地域に共通する同時代性、歴史性を明らかにしていく筆者の旅は、読む者をひきつける。

 日本の植民地支配の結果日本で生まれ育ち、祖国の分断のひずみの中で獄中生活を送らなければならなかった筆者だが、その視野には朝鮮半島と日本の関係だけがあるのではない。

 「朝鮮半島の近代史は東アジアの近代史の一部であり、朝鮮の統一は東アジアの歴史の転換と不可分である」という指摘は重要だ。そして、この100年以上に渡り東アジアを抑圧してきたものの正体を明らかにし、それを取り除くための課題を追い求める。その具体的な行動が、東アジア各地の人々との連帯であり、靖国に対する反対共同行動だ。

 本書の最後の項目は「日本の『韓国併合』一〇〇年を契機に、一四〇年の東アジア侵略・支配の歴史を問う」。日本のアジア諸国への侵略と植民地支配を過去のこととして語るのではなく、敗戦のあり方、冷戦時代の政策、現在の歴史に背を向ける姿と、過去から現在までを問い続けているのが、本書に一貫して流れる姿勢だ。

 そして、日本のそのような「反動性」が韓国の歴代政権の「反動性」とどのように連動してきたのかが厳しく追及される。

 語られるのは重い内容ではあるが、各地を巡り人々との出会いを綴る軽妙な文章が楽しく、紀行文として秀逸な一冊となっている。(徐勝著、かもがわ出版、1700円+税、TEL075・432・2868)(琴基徹・月刊『イオ』編集長)

[朝鮮新報 2011.4.13]