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〈本の紹介〉 植民地期朝鮮の歴史教育

「朝鮮事歴」の教授をめぐって

二重写しに見える歴史の順理

 タイトルにある「朝鮮事歴」とは、植民地期の普通学校歴史教科書(総督府編さん)に叙述された朝鮮の歴史を指す。物事の故事来歴を表す「事歴」という用語に、朝鮮を日本と対等な立場ではなく、従属関係にある一地方に貶めようとする企図が露顕している。

 3・1独立運動後、武断統治を文化統治へと方針転換させた日本は、教育においても民族意識の変改を狙い、自らに都合よく読み替えた「朝鮮事歴」を歴史授業の『補充教材』として1920年に編さんし、続いて1922・23年の教科書改訂では日本史の中に郷土史のような形で組み入れる。

 「朝鮮事歴」の叙述は@日本との関係、A中国との関係、B朝鮮の政治的変遷、C朝鮮の文化史の4要素で構成されている。郷土史には「中央史を具体化した歴史」と「各地方の特色ある歴史」という二側面があるので、前者については、地方を中央に従属するものと見なすことから@とAで、後者については、郷土の独自性を強調することからBとCで叙述する。

 併合の正当化が元来の目的であったはずの「朝鮮事歴」だが、併合前の朝鮮史を日本史の一部として扱う無理が教育現場を混乱させ、1932、33年の改訂では独立単元となる。しかし、本意ではなく朝鮮の特殊性が強調されることにより、予期せず郷土史の地位から「逸脱」する自己矛盾に陥る。このことが京城帝大総長の建議書などで批判を受け、「朝鮮事歴」の叙述は徐々に削減され、1941年には削除されるに至る。

 「朝鮮事歴」が日本歴史に内包できないまま消滅する過程は、日本の植民地支配の根源的誤りと限界、朝鮮独立の必然性を縮図として示している。

 3・1運動当時の宇都宮太郎・朝鮮軍司令官でさえ、日本の武断統治を「納得せざる婦女と無理に結婚せしが如く」と批判し、将来朝鮮に「自治」を与えるべしと主張していたという。本書は1941年までが考察対象であるが、その後間もなく日本の朝鮮軍事強制占領が終息したことと併せて考えると、その過程には歴史の順理が二重写しに見えることだろう。

 本書は、著者の博士学位請求論文がもとになっている。教育雑誌の言説(個別論文)、教科書の構成と内容はもちろん、とくに教授実践(授業内容)までをも丹念な史料調査に基づいて整理した点などは、歴史研究とともに、教科教育研究の観点からも著者の教育経験と問題意識の深さが看取される。(國分麻里著、新幹社、3500円+税、TEL03・5689・4070)(許哲・朝鮮大学校教育学部准教授)

[朝鮮新報 2011.4.13]