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くらしの周辺−また、救援隊として

 「こんな日がまた来るとは。来てほしくなかった」。悪路の東北自動車道、宮城、福島のハッキョに向かうトラックの中で何度も思った。阪神淡路大震災の時、私は22歳で朝大生だった。未曾有の大震災で苦しむ同胞たちを助けるため急遽結成された「朝大救援隊」16人の一員として現地へ行った。

 廃墟となった街を見ながら、(これは一生に一度の大惨事だろう…)と言葉を失った。

 16年経った今、私はまたしても救援隊として被災地に向かっている。そこには、大震災の残した悲惨な光景とともに、かつて見たものと同じ心温まる光景が再現されていた。

 一夜にして6トンもの支援物資があちこちから集まり、自分の仕事を後回しにして現場に駆けつけ、汗だくになりながら物資を積み込む青年たち。一日2食の食事、無精髭を剃るのも忘れて必死に同胞たちを探し回る現地イルクン。長距離運転で疲れてるいだろうに清々しい顔で「○○県から来ました!」とあいさつする各地同胞たち…。その姿を見て「あのときと何も変わっていない。これが同胞愛、これがウリチョジク(わが組織)だ」。 朝大時代の4年間で一度だけ泣いたことがある。神戸に行ってくれる救援隊をハンドマイクで募っている時にある女子学生からもらった「嘆願書」にだ。「私を送ってください。おにぎりを何千個でも作ります。働きながら寝ます。ケガも死も覚悟します。お願いですから私を送ってください」。

 わが組織と民族教育がある以上、わが同胞たちはどんな災難からも不死鳥のように未来へ飛び立つに違いない。(許勇虎・団体職員)

[朝鮮新報 2011.4.7]