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鈴木孝雄・元日弁連人権擁護委員長からの手紙

「朝鮮学校は永遠の心の故郷」

 拝啓

 寒さの厳しい日々が続いていますが、貴校のみなさまはお健やかに勉学に励んでおられることと拝察します。

 このたび、私は貴校の林有春先生から貴君の「高校無償化」についての作文のご紹介をいただいて拝読しました。

 小生は、かつて日本弁護士連合会の人権擁護委員として、「朝鮮高級学校の高体連の大会参加」「外国人学校の資格と助成」問題を担当して、その意見書を起草し、前者については日弁連の人権擁護委員長として高体連と交渉し、また後者については「外国人学校の資格と助成に関する委員会委員長」として、国連の「子どもの権利条約に関する委員会」にその意見書を提出することを進めた者です。

 貴校の林先生、張末麗先生には、この意見書の作成のための調査にあたってご協力とご指導をいただきました。

 そうした関係で、このたび林先生から貴君の作文を日本語に翻訳していただいて拝読する機会を得ましたので、小生の読後の感想をお送りします。

「立派な教育ができている」

 貴君の作文を読んで、まず最初に考えたことは、「朝鮮学校では立派な教育ができている」ということです。もちろん「教育が立派にできている」ということは、貴君のご両親の教育と、学んでいる貴君も申し分のない勉学をしているということを含めた結果です。

 私が起草した上記の二つの意見書は、「朝鮮学校を含めて外国人学校について、日本の学校と同じ小・中・高校の資格を認めなければならない」「外国人学校に学ぶ子どもたちの教育についても、日本の学校と同じように保護者の負担にならないように公的な助成金を支出しなければならない」という考えを貫いています。

 この考えは、国連の作った国連の憲法に当たる「国連憲章」「子どもの権利に関する条約」(通常は略して「子どもの権利条約」と呼んでいます)、「日本国憲法」に従った考えであり、国連の「子どもの権利に関する条約の委員会」でも全面的に支持されています(この委員会の審議には、貴校の英語の張先生も現地ジュネーブに行っておられるので、詳しく知りたければ張先生に教えていただくと良いでしょう)。

 私は、この意見書の起草に当たって、幾つもの朝鮮学校など外国人学校を参観して、関係者の意見を聞きましたが、日本側の意見も幅広く聞いており、また日本側にどのような意見があるかについても調査しています。

 この時、日本側で朝鮮学校について私たちの意見に反対する考えとしては、「朝鮮学校の教育内容について疑問がある」ということを理由にしていました。今回の「高校無償化」と同じです。

 これについて、私たち法律家の公的な組織である、弁護士会として、公表する意見は、「条約、憲法に従った公平な意見でなければならない」という使命があります。そのために、朝鮮学校については特に多くの学校の授業を参観させてもらい、また教科書も一通り日本語に訳してもらって内容を見ました。

 その結果、どのような意見の人たちに対しても「朝鮮学校の教育は、日本の学校にそん色のない、むしろ多くの日本の学校以上に優れた教育がなされている」と答えられる確信をもって上記の意見書を作成したのです。

 ただ、世間の人たちは、教科書を全部読んだり、多くの授業を参観することはしないでしょうから、朝鮮学校の教育について疑問を差し挟む意見に対しては、調査したところは一応の説明をしました。がしかし、「教育の是非は、その教育を受けている子どもたちを見て、子どもたちと話し合ってみれば何より明白にわかる。一校でもよいからぜひ朝鮮学校を訪れてみなさい」と答えてきました。

 以上の経過を考えてくれると、私が貴君のしっかりした考えの作文を読んで、どれほど喜んでいるかが理解していただけると思います。

 これからも、ますます勉学に励んで素晴らしい人生を築いてください。

 なお、申し添えておきますが、上記の日弁連の意見書は、委員会はもとより、日弁連の会長、副会長会議を含めて、一人の反対もなく採択されて国連に送られたものです。

 また、今回の「高校無償化」について、日本の政府と国会は、「朝鮮学校については国交がないから教育内容についてよく調べてからでないと評価できない」ということを理由に朝鮮高級学校だけを先送りにしました。

 ところが、上記の国連の「子どもの権利条約の委員会」は、この条約の実施状況を審査して上記の日弁連の意見書を検討したときに、日本国政府に対して、「(外国人学校に資格も助成金も認めていないことは)条約に違反する人権侵害が行われている懸念が大きいから、実態をよく調査して(条約違反の)人権侵害がないように処置するように」という趣旨の勧告をしています。この勧告から10年以上が経っています。今さらあらためて「調査しないとわからない」という言い訳が通るものではありません。

 単に怠慢で済ませることでもありません。

 無知か、卑怯か、恥知らずか、外国人の人たちのためだけでなく、日本国のためにも嘆かわしい政治が行われています。

「署名活動を通じて成長」

 貴君の作文の素晴らしいところは、短い期間に精神的に飛躍的に進歩したことと、その飛躍の実態が生き生きと描写できていることです。街頭でビラ配りをしたり、署名運動をすることは、私にも体験がありますが、嫌な思いをするものです。それぞれの人の性格、性質を大別して、体育会系の人のように「考えるより行動が好きな人」と文科系の人に多い「行動の前に考え込む人」がありますが、後者の性格の人にとっては、街頭運動がただ嫌なだけではなく、辛くさえなります。

 多分、貴君はどちらかといえば、後者の心境だったと思いますが、暗い道を歩いているような経験を通して、自分自身の心の中で自分の歩く前途を照らす光を見つけたように思います。

 これが大変素晴らしいことであり、こうした体験を積み重ねてどんな困難でも克服できる強さが得られ、才能を伸ばすことができる人になります。

 貴君の素晴らしい人生と幸せを祈っています。

 なお貴君が署名活動中に、通行人が「『高校無償化』に使う資金は日本人の税金だ」という趣旨のことを言われたのに対して、即座に「私たちの両親も税金を払っています」と言い返せたことは、貴君の素晴らしい進歩を示す一例ですが、このことは私たち日弁連が国連に提出した意見書でも指摘しています。「在日の外国人の人々は、日本国民と同じ税率で税金を支払っていますから、朝鮮学校などそれぞれの民族文化による教育についても、まず義務教育の課程を日本国民と同じように無償で受けられるようにしなければ、外国人の人々の払った教育費を日本の子どもたちの教育に使ってしまっていることになっている」という趣旨を指摘しています。国連の「子どもの権利条約」に従えば、初級、中級の朝鮮学校の教育も無償で受けられるようにしなければならないのです。

 ただし、ついでに説明しておきますと、貴君が通行人に反論したことは正しいのですが、さらに考えてみると、「親がいない子」は親が税金を払っていませんから、教育を受けさせなくても良いか、というと、そのような理論は暴論であり、世界中を捜しても肯定する人はいないでしょう。

 「子どもの権利条約」によっても日本国憲法によっても、「教育を受ける権利」は全ての子どもたちに保障されていて、保護者の納税とは全く関係がありません。この通行人の発想は、呆れるほど情けない無知と吝嗇の産物ということでしょう。

 貴君の作文を読んで、多分貴君が気づいていないのではないか、と思えることがあるので書き添えますから考えてみてください。

 それは、貴君たち朝鮮学校で学ぶ児童・生徒たちと、朝鮮学校に子どもを学ばせるご両親など保護者の方々、朝鮮学校の先生たちは、人類の歴史という観点から考えると、人間の尊厳を護り、平和を確立するうえで、かけがえのない尊く勇気のある努力をしているということです。

 第2次世界大戦の後に作られた国連は、国際平和の確立と、その確立された平和のうちに人類が繁栄し、幸せに暮らすことを目標にしています。

 国際平和の確立のためにも、人々が幸せに暮らすためにも、「人権の保障」と「民族の自決」が守られなければならないとの原則を国連憲章に定めています。これは、植民地の支配とその奪い合いが、人類にとって戦争の原因になり、最も多くの悲惨と不幸を作ってきた歴史的事実から学んだことです。

 「人権の保障」は、人々が「個人として人間の尊厳」を護られることが核心にあり、「個人の尊厳」は、すべての人が、身体的にも精神的にも国や他人に支配されないことが、まず確立されなければ成り立ちません。

 そして「精神的な個人としての人間の尊厳」は、一人ひとりの人が、自分の判断による考えで生活できることに始まります。

 他人や国などの権力に命令されて行動しなければならないとすれば、基本的に奴隷と同じ存在になり、「人間としての尊厳」がなくなってしまうことは、中学生や高校生でも十分にわかるはずです。

 そこで、個人が自分自身の価値判断の基準を持って、自分の考えを作る基礎は何によるか考えてみてください。

 人は、いろいろなことを学んで成長します。成長に従って考えも成長するのですが、その最も基礎になる考えは、幼いときから自然に身につける父母の考えなのです。言い換えれば、父母が先祖代々受け継いできた文化が、その子どもたちの「個人としての存在」の基礎になっているのです。

 「子どもの権利条約」は、「子どもはまず両親と同じ文化を学ぶ権利が保障されなければならない」ことを定めていますが、これはこうした理由によるのです。

「かけがえのない民族文化」

 「民族」という存在は、「同じ文化を継承し、享受(楽しみ)し、発展させている人々」を一つの単位として考えた分類なのです。

 「民族教育」とは、「先祖から引き継いできた生活の文化を、継承し、享受し、発展させられる人が育つ教育」なのです。こうした教育がなくなると、それを失った人々は民族としての存在も失ってしまうことになります。

 植民地政策は文化を奪う政策ですが、その結果は、文化を奪われた人が文化を奪還するために戦う戦争になり、また植民地の奪い合いの戦争となって、人類に最大の不幸をもたらすことを第二次大戦までの多くの戦争が教えました。

 それぞれの民族が、そのそれぞれの文化を受け継ぎ、発展させることが、その民族のためだけではなく、人類すべてのために必要で、またかけがえのない尊いことであることを理解していただけたと思います。

 人権擁護の仕事をしていると、人権を侵害されている人々の苦しみや悲しみの海の中を進んでいるようなものです。

 私は、朝鮮学校など外国人学校の問題に取り組む前に、戦争中に中国に送り込まれてそのまま日本に帰国できなくなった「中国残留孤児、残留婦人」の問題に取り組んで、帰国を希望する人はすべて帰国できるようにする活動をしていました。

 中国政府は、終戦後常に、残留した日本人の帰国に全面的に協力する用意があったのに、日本政府が帰国させようとしなかったのが原因です。これは最終的に帰国が実現するまでに、私が取り組んでから実に約15年を要しました。実現するまでにどれほど多くの人たちが、帰国の希望を実現できずに亡くなったか知れません。

 この間、弁護士会の意見書を作るための資料の研究として、残留孤児や残留婦人の帰国を訴え、残留した戦後の状況などを書き送ってきた手紙などを読んで、当時手書きしていた(ワープロやパソコンのない時代)原稿を幾度か涙で滲ませたものです。

 朝鮮学校の問題で意見書を作っていても、ご両親など保護者の方々や先生方のご苦労、純真な生徒諸君が将来立ち向かわなければならない苦労が思われて、同じ思いをしたものです。

 私たち法律家の意見書は、感情を抜きにして、条約、憲法など法規に照らして公正に作らなければならないので、自分の感情が落ち着いてから文章を書き進めます。

 しかし、大切なことは、残留孤児、残留婦人の問題では、彼らが困難な状況の中で自分の力で立派に生き抜いたことであり、このことは涙することではなく、尊敬するべきことです。

 朝鮮学校など外国人学校の問題では、日本の異常に不公平な社会の中で、困難と不利益を怖れずに、先祖代々受け継いできた自分たちの教育を継承している人々は、人類の歴史の中でも特筆して尊敬されるべき人々であるということです。

 「心の故郷」という言葉があります。

 故郷を遠く離れていても、故郷と故郷の生活を思い起こすことによって、心を故郷に帰らすことは何時でもできます。

 人生には、誰でも困難に直面したり、悲しい状態におかれることがあります。そのようなときに、心の故郷は、何よりも痛みを和らげ、新しい力をもたらしてくれます。

 貴君たちにとって、朝鮮学校が永遠の心の故郷であることを願っています。

 身体を大切にして、素晴らしい人生を築いてください。お幸せを祈っています。

 敬具

[朝鮮新報 2011.3.19]