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〈渡来文化 その美と造形 44〉 金石文B 道薬師の墓誌

道薬師の墓誌

 人間は必ず死ぬ。死ねば、ほとんどは墓に埋葬する。日本の古代、奈良時代(8世紀)には基本的に火葬する。そういった墓から墓誌が発見されたりする。「佐井寺僧 道薬師」の墓誌もそうであった。

 墓誌は1958年1月、奈良県天理市岩屋町での土取り作業中偶然出土した。須恵器の骨蔵器の中に、骨片とともに銀製の墓誌が納められていた。

 骨蔵器は肩の張った均整な薬壷形で、肩の下には舌状の把手を左右につけ、やや平たい蓋の上面中央に扁平な宝珠形のつまみが付いている。全体の高さは21.3センチ、優美で柔らかな形である。

 墓誌は、縦13.75センチ、横2.2センチ、重さは約82グラムの短冊形で、表には、「佐井寺僧 道薬師 族姓大楢君素止奈の孫」(佐井寺の僧である道薬師は族姓が大楢君素止奈という人の孫である)との17字を、裏面には、「和銅7年歳次甲寅二月廿六日命過」(和銅7=714年、歳の次は甲寅、2月26日に命が過ぎた)との15字をタガネで刻んでいる。それにしても、死を「命過ぐ」とは実に直截すぎるほどの表現である。

 ところで、銀製の墓誌は日本では唯一であって、大変珍しい。

 墓誌に見える佐井寺についてはよくわからない。大体、主人公の道薬師さえも古代の資料に全く登場しない。で、よくわからない。

 手がかりは「大楢君素止奈」である。

 墓誌の出土地点から西北1キロメートルほどの所に「楢町」がある。これは「和名抄」に見える「楢中郷」の「楢」によるものであろう。そして「楢」を氏称とする8世紀前半に活躍した人物が史上に存在する。楢許智=楢巨智=ならのこち氏、楢曰佐=奈良曰佐=ならのおさ氏で、いずれも百済出身。「なら」は地名、「おさ」は職掌=「通訳」を氏称とした。楢曰佐河内という人物は777(宝亀8)年「長岡忌寸」姓を賜った。時に従六位下の官位であった(「続日本記」)。

 これらの近い祖先は、608(推古16)年中国の隋に留学して後に日本にもどった奈羅訳語恵明であろう。

 道薬師という僧は、どうも埋葬地に近い「楢」町に居住した百済系の人物で、千数百年の眠りをさまされることによってその存在を示しはしたが、詳しいことは何も語らず、世の研究者を悩ませている。

 出土品は重要文化財、国立奈良博物館に収蔵されている。合掌。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表)

[朝鮮新報 2011.3.7]