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若きアーティストたち(78)

人間の根本、芸術で表現したい

作曲家 趙世顕さん

 「人と違うことをするのが好きなんだ。みんなと同じなんてつまらないでしょ。『同胞初○○』なんて言われたときにはたまらない」

 そう話すのは、現在フリーで作曲活動をしている趙世顕さん。作曲とはまさに無からの創造。常にオリジナリティーが求められる世界に趙さんが心を奪われたのは、自然な流れだったのかもしれない。

 5歳のときからピアノ教室に通っていた。ピアノは不得意だったが、音楽自体は昔から大好きだった。

 ある日CDショップに行ったとき、店内に流れるベートーベンのピアノソナタ「月光」が耳に入った。瞬時に心を奪われ、その場で母親にねだり買ってもらった。初級部2年のときだった。その後、あらゆるジャンルのCDを買っては聴いてを繰り返すうちに、いっそう音楽の世界へと誘われていった。

 中1の頃、音楽の期末テストでリコーダー演奏、歌、作曲の中から一つを選んで実演するという課題が出された。「作曲すれば無条件で10点を与える」という話に乗せられて「作曲」を選択した。「できないとは思わなかったし、実際どんどんフレーズが浮かんで楽しかった。なぜかわからないけど感覚的にできたんだ」。

 その完成度は「先生も驚くほど」だったそうだ。このころから「自分は作曲家になる」という漠然とした思いを抱いていた。その後、中、高級部では、クラスの歌や校内行事のために約30曲の歌を作り上げた。

 高3初期、幼なじみが組んでいたバンドにドラマーとして誘われた。初めてのバンドに興味がわき、他のアーティストやバンドの曲をどんどんコピーしていった。

趙さんが作曲したヴィオラ5重奏「parabola」の楽譜の一部

 高校卒業を控え、進路の問題と直面するなり、同級生はみな音楽から遠ざかってしまった。だが自分の中では音楽に対する思いが冷めることはなかった。卒業間近に音大進学を決意。1年間猛勉強を積み重ね、莫大な量の音楽理論を習得。翌年、見事に東京音楽大学に合格した。

 入学して間もない頃、世界的にも有名な南朝鮮の作曲家・尹伊桑(1917年〜95年)の「Interludium A」を聴いて衝撃を受けた。今まで抱いていた音楽の概念がすべて覆され、尹氏以外の曲は耳に入ってこないほどだった。その出会いが、趙さんが本格的にクラシックの道へと進むきっかけとなった。

 「尹氏の音楽は常に『平和』がテーマとなっている。今では東洋を代表する現代音楽の作曲家とも言える尹氏だが、戦前には反日運動で逮捕され、1967年にはKCIAによって拉致され、本国に送還されスパイ容疑で投獄、拷問を受け死刑判決まで下された。尹氏の音楽には独裁政権下での過酷な体験が、繰り返されてはならないという民衆の思いがぎっしり詰まっている。そんな彼の世界観に魅了されたんだ」と話す趙さん。

 曲を作る過程で生み出す苦しみは常につきまとうもの。だが、自分に妥協はできない。誰も聴いたことのない新しい音楽の世界の創造を目指し、日々研究を重ねている。

 「自分は作曲家というよりも、広範囲な一アーティストの中の一人。普段の生活の中で人間の根本を探し、今を生きている人々を芸術を通して表現したい。その伝達手段が音楽なだけで、音符は言葉、メッセージを伝える手段に過ぎない。自分の音楽を聴いてただよかった、感動したと思ってもらうよりも、そこで何かを感じて、考えるきっかけになればうれしい」(尹梨奈)

※1984年生まれ。東京朝鮮中高級学校を経て、東京音楽大学卒業。現在、映画、CM、オーケストラの楽曲の提供、編曲に携わるなど、フリー作曲家として活躍中。また、在日同胞音楽団「パラン」のリーダーを務める。

[朝鮮新報 2011.3.7]