〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第13回 湯浅克衛(上) |
美化される朝鮮の記憶
前回まで中島敦のことを書いたが、中島と京城中学校で同級だった湯浅克衛(1910〜1982)がいる。もはや今日ではほとんど知られていないが、生涯朝鮮を書き続けた数少ない日本の作家である。中島と同じく植民地朝鮮で思春期を過ごし、ともにその朝鮮体験を描いている両者の作品には、題材の共通性と、だが非常に対照的な朝鮮への態度が表れる。 湯浅のデビュー作「カンナニ」(1935)は、植民者の子龍二と朝鮮人少女カンナニ(李橄欖)との純恋が、3・1独立運動のさなか悲劇的に引き裂かれるという内容である。もっとも初出時には3・1運動を描いた後半部が当時の検閲を配慮して削除され、戦後1946年に作者が記憶に基づいて後半を書き直し復元された。戦前、侵略戦争のための大陸開拓のイデオローグとして国策に加担した責任を自己韜晦し、センチメンタルでアリバイめいた贖罪意識や朝鮮への「善意」の提示として、この復元版「カンナニ」をめぐり多くの批判がなされた。
日本人巡査の子龍二は、陸軍大将志望で、朝鮮に来てからは豊臣秀吉のような英雄に、さらに朝鮮で「一番偉い」総督になりたいと夢見る少年だ。だが「日本人大嫌ひ、憲兵一番嫌ひ、巡査、その次に嫌ひ。朝鮮人をいぢめるから、悪いことするから」というカンナニと出会い、仲良くなっていくうちに、朝鮮人差別や「内鮮一体」の虚偽を少年なりの正義感で見出していく。中島敦「巡査の居る風景」も朝鮮人巡査という支配/被支配の境界的存在を描いたが、実際に父親が朝鮮で巡査だった湯浅の作品にも、こうした植民地的なテーマが色濃く表れている。
ほとんど奇跡のような龍二とカンナニの純恋は、だがあらかじめ植民地支配権力と被支配者の関係を否応なく担わされざるをえない。たとえ少年少女の純心が民族間の対立を乗り越え、カンナニが「日本人は皆嫌い」「それでもお前(龍二)は大好き」といったとして、両者はそもそもそのような牧歌的恋愛の世界の住人ではありえない。「五十円で(自分を嫁として)買つてくれる」と問うカンナニ。「ああ大きくなつたら」と答える龍二。このように性的支配関係からすでに自由でない両者の、無邪気すぎる会話に、眼を覆わんばかりの構造的な暴力があらわになっている。カンナニの純真無垢さは、その純真さゆえに支配/被支配の暴力に対しあまりに無防備なのだ。 前回紹介した中島敦「プウルの傍で」の一場面を重ね読む。「オルマヨ(いくらだ)」と朝鮮語で尋ねる主人公の少年と、「ヤスイヨ」と日本語で返す朝鮮人の少女。中島敦もまた植民地における少年少女同士として朝鮮人と出会っていた。しかしそれは純愛にはほど遠い、遊郭という、支配/被支配の関係が幾重にも重なり、互いの淡い交情など到底不可能な場所においてであった。 中島の描いた朝鮮人少女は、彼を痛みとともに自問自苦へと向かわせたのに対し、湯浅が「無意識裡にとはいへ犯していたことを、この際反省の資」にしたいと述べつつ戦後復元された、限りなく無垢で美しいカンナニの像は、「それでもお前は大好き」と無条件に湯浅を許し郷愁と追慕の念に浸らせてくれる、朝鮮の記憶そのものとして描かれたのではなかったか。そしてやはりそれは作者自身にとって「反省の資」とはならなかった。湯浅の朝鮮認識の変化過程と転回点、そして戦後のあり方に至るプロセスを次回も辿ってみることで、日本の朝鮮植民地支配を正当化する心理構造の一典型が透けて見えると思う。 カンナニは「いぢめられないところ」「(龍二と)二人だけで、いつも遊べるところ」に行きたいと願った。だが彼女は3・1運動への弾圧で殺されたと暗示されて作品は結ばれる。彼女の無邪気で哀切な言葉が、「高校無償化」適用を訴える朝高生たちの声と重なって響く。朝鮮人はなおも「いぢめられ」ている。朝鮮と日本の子どもたちが平等に学び、遊べるところ。カンナニが願い、だが行き着けなかったユートピアは、なおも遠い。(李英哲・朝鮮大学校外国語学部准教授) [朝鮮新報 2011.2.28] |