「いつもお天道さまが守ってくれた−在日ハルモニ・ハラボジの物語」を読む |
人間の尊厳を求め闘った人々 この本に登場する34人のハルモニ・ハラボジは、1920年代から30年代の初めの生まれ。日本の「韓国併合100年」を身に引き受けて生きた人々である。著者が話を聞いた時は健在だったのに出版前に亡くなった方もあり、心が痛む。 どの写真も明るい。家族に囲まれた和やかな笑顔。しかし、優しいだけではないと私は思った。優しい眼の強さ、しわの奥に強い意志が見える。人に手を差しのべる力の優しさというべきか。
勉強への底力
多くのハルモニが「女に学問はいらない」と文字を教えられず、日本の学校では差別で勉強どころではなく、その学校さえ貧しさのため通うこともなく、ハングルもあいうえおも知らずに育った人々が多い。ある少女は半年に一度の工場の休みに、家族に会いに外出、字が読めず電車に乗れず、何度も同じ道を往復、一日が終わった記憶を語る。雑踏にひとりぼっちの少女の焦りと不安を思い、胸が痛くなった。 この人々は厳しい労働後の夜間学校で、総連結成後の成人学校で、驚くべきは70歳になっても、祖国の言葉だけでなく日本語、次にはローマ字さえこなす勉強の底力に驚かされた。元ハンセン病患者の金さんはハングル点字の舌読を学んだ歌人。指に麻痺が来て点字習得ができなくなった後の努力という。 学びのエネルギーはどこから生まれるのか。それは自分自身を取り戻す作業だったのではないか。与えられなかったことへの恨みは聞かれない。奪われたものを取り返す闘い、文字を知ること自体、否定された民族を取り戻す闘いだった。思えば、私は自分自身を全否定された経験がない。どんな苛酷な人生か、それを知ることなしに朝鮮人と向き合うことができないのではないか、と思い知らされた。 刻まれた痛み 高齢となった今、この人々に共通する事業は民族学校支援。自分自身のよりどころであったウリハッキョは、子どもにも孫にも欠かせないよりどころだとの信念が共通している。 在日の民族性は権利闘争で闘いとったもの、と知ってはいた。しかし、日本人には民族性とは自然にそこにあり、いつもあり、これからもあり、考える必要のないもの、むしろ、民族性の強調は煩わしく偏狭と感じることが多い。日本人が朝鮮人と向き合い開かねばならない扉はここにもあった。 多くの人が肉親の死を語っている。父母やつれあい、兄弟姉妹、そして幼いわが子の死を語っている。無惨な死、弾圧の中で、暴力によって、貧しさによって。支配、抑圧がなければあり得なかった家族の死が鋭い痛みとなって生きている。その犠牲とともに生きてきた生涯であった。穏やかな言葉に刻み込まれた痛みを知らねば、日本人の私は「韓国併合100年」の歴史を知ることはできない。 この本の表紙が美しい。高原に咲き乱れるペクトラジの群。花をそよがせる風はきっと朝鮮の風だと思う。(重藤都・東京日朝女性の集い代表) 差別打ち砕くバイタリティー 本紙女性欄で連載中の「生涯現役」。2冊が単行本化され、本書は第3集。 弾圧の嵐の中で 幼い心身に刻まれた差別の記憶。貧困の原体験。一人ひとりの口から語られる具体的な言葉に胸を衝かれる。解放後も受難は続く。本書に登場したハルモニ、ハラボジのほとんどが、弾圧の嵐に身をさらしている。 変わらぬ差別の構図。逆境のなか、それぞれが自らの才覚で道を切り開く。身を粉にして働き、子育てに勤しみ、組織の活動にも参画し、権利を求めて奔走する。ほとばしるような祖国への思いとバイタリティーに圧倒させられる。互いに支え合う同胞のコミュニティーもまた活力に満ち、懐が深い。 しかも、それぞれが地域社会においても存在感を発揮している。たとえば「枝川の歴史の生き証人」金敬蘭さん(78)。東京朝鮮第2初級学校のオモニ会会長を46年間務め、学校と子どもを守る闘いの最前線に立ってきた。地域の誰からも尊敬される存在。本書のタイトルは、金さんが地元の日本人から送られた「あんたをいつでもお天道さんが見守っているからね」という言葉に由来する。 女性が27人と圧倒しているのも本書の大きな特徴だ。植民地時代に生まれ、幼くして劣悪な環境で働かざるをえず、しかも男尊女卑の厚い壁の前に教育の機会すら奪われてきた女性たち。同胞社会に尽くし、社会に貢献しながらも、男性に比べてスポットは当たりにくい。だからこそ記者は、女性たちの記憶を記録に残そうとしたのだろう。 あとがきで著者は、「人間の一番初めにあるべき知性は人様を思いやる心根のやさしさ」とする作家・石牟礼道子さんの言葉を引き、「まさしくそんな『知性』を身につけた女性たちだった」と書いている。私自身、読みながら何度も居住まいを正した。高潔な精神が行間から立ちのぼってくるようだった。 若い世代の糧に 翻っていえば、そのような「知性」とは、「在日特権を許さない会」などの品性とは対極に位置するものなのだと思う。「高校無償化」の問題もそうだ。偏見を煽りたてる輩たちの掛け声の、なんと薄っぺらいことか。 だからこそ、なおさら民族教育に対する思いの強さが印象に残った。受難の歴史を体現してきたそれぞれの言葉を通じ、学びの場の重みを再確認させられた。本書は今年巣立っていく全国の朝鮮高級学校の卒業生たちにプレゼントされるという。「若い世代に1世たちの生きざまを引き継いでほしい」と著者は期待する。「無償化」を求める街頭行動などにも積極的に参加してきた生徒たちにとって、大きな糧となるに違いない。 文章の端々に相手への尊敬と、優しい眼差しがにじむ。添えられた写真がまたいい。みな自然体で柔らかな表情を向けている。残念ながら登場する34人のうち3人が鬼籍に入った。著者にはますます精力的に、この重要な仕事を続けてほしいと思う。(栗原佳子・ジャーナリスト) [朝鮮新報 2011.2.25] |