汗と涙を共にした迎春公演参加の生徒たち |
私を変えた1カ月の祖国滞在 【平壌発=姜イルク】初めて踏む祖国の地。国家的な祝賀行事の舞台。メンバーとの出会い。旧正月に際して平壌で行われる「学生少年たちの迎春公演」に参加したウリハッキョの生徒らにとって、数々の不安を抱えながらの祖国訪問(1月13日〜2月12日)であったが、公演を成功させようという一つの目標に向かってともに汗と涙を流した。
厳しい練習過程、思いやる心育む
日本各地の朝鮮初中級学校から選抜された90人の生徒らは、祖国の多くの人たちに支えられながら、練習に励み、2月3日の公演の舞台に立った。 祖国に到着したときから公演の当日まで、ほとんどの時間が練習に費やされた。練習はとてもつらかったと生徒らは口をそろえる。舞踊に出演した大阪朝鮮第4初級学校の宋朝響さん(初6)は、「でも祖国の先生はもっと大変だったと思う。私たちのために家族の元を離れ休むことなく教えてくれた。先生たちの熱い情熱と愛があったからこそ、公演を成功させることができた」と話した。 話術の指導を受けた生徒の中には、のどがかれて声が出なくなる生徒もいた。万景台学生少年宮殿教員のホ・スクさん(47)からレッスンを受けた四国朝鮮初中級学校の鄭慶秀さん(中2)は、「祖国では平均気温がマイナス15〜18℃のときもあり、私たちが風邪をひかないよう細心の注意を払ってくれた。最初は『先生』として接していたが、だんだん本当のオモニのように思えてきた」と笑いながら、「今まで自分のことだけを思って、他人のことを考えていなかったと思う。人に愛されることだけを望むのではなく、人を愛せばそれだけ愛されるということを感じた」と振り返った。 今回の「迎春公演」に参加した生徒らの学年は初級部5年から中級部2年まで。親元を離れての1カ月間、生徒同士で支え合った。 北海道朝鮮初中高級学校の朴優さん(中1)は、メンバーに知り合いもなく最初は不安が大きかったが、「みんなが優しく接してくれて、ホームシックもすぐになくなった。本当に毎日が楽しかった。オンニたちと祖国の指導教員、生活の世話をしてくれたオモニたちに心から感謝をしたい。友だちもたくさんできた」と喜んでいた。 生徒らは起床から消灯まで集団生活を送った。全員が日記を書き、夜にはそれをメンバーの前で発表する毎日だった。公演を成功させようという90人の気持ちがだんだん一つになっていった。 そして公演は、観客らから大きな拍手を浴びる感動の舞台となった。 舞台上では、涙をこぼす生徒らの姿もあった。栄光の舞台に立てた喜びとともに、つらい練習の日々、それを支えてくれた人々の顔が浮かんだと、多くの生徒が話していた。 今回の芸術団団長を務めた生野朝鮮初級学校の尹誠進校長は、「生徒らにとって世界観、人生観の礎が築かれるとても大切な時期だ。このような時期に日本のマスコミや教科書でしか知らない祖国の現実を自分の目で見て感じ、また、互いを刺激し合ってきつい練習を集団の力で乗り切った。これは祖国での集団生活なしには語れない。生徒らは1カ月間で本当に大きく成長した」と述べた。 祖国での生活を通じて、教員になりたいという気持ちがいっそう強くなったという生徒もいた。 埼玉朝鮮初中級学校の高麟和さん(中2)は、通学途中で「朝鮮人は帰れ」という罵声を浴びたことがいつも心に残っているという。「祖国では何の心配もなくチマ・チョゴリを着て堂々と街を歩くことができたのがうれしかった。日本でも堂々と学べる環境ができればと思う」。 「大きな夢抱く契機」 歌劇団員の回想 全国に放映される「迎春公演」の舞台に立ち、そのために長期間、祖国に滞在するという貴重な体験は誰もができることではない。 2.16慶祝在日朝鮮人芸術団音楽舞踊総合公演(2月14〜18日、平壌大劇場)に出演するため祖国を訪れている金剛山歌劇団メンバーらは、「迎春公演」に出演した生徒らを見ながら、当時を回想したという。 「迎春公演」に2度参加したことのある民謡歌手の宋明花さん(34)は、91年111人、94年206人というメンバーの具体的な数まで克明に記憶している。幼い頃から「栄光の舞台」に立つのが夢だったという明花さんだが、2年連続オーディションに落ちて、号泣した思い出がある。ついに祖国に来て、ここで過ごした日々は「夢のような日々」だった一方、祖国の生徒らの芸術水準の高さにショックを受けたという。「『栄光の舞台』に立つという夢は実現できた。が、夢はそれだけでない、と思うようになった。さらに大きな夢を抱く貴重なきっかけだった」。 ソプラノ歌手の金明鉉さん(27)には、「今でも忘れらない」出来事がある。96年、98年の舞台で独唱する予定だったのが、本番を前に、いずれも複数での出演となった。「目立ちたがり」だった明鉉さんは泣きじゃくったという。そんな明鉉さんをなだめてくれたのが5つ年上の全明華さん(金剛山歌劇団歌手)だった。「明鉉は歌が上手でここに来れたが、公演は個人の欲望を満たす場ではない、みんなが力を合わせてこそ成功させられる、と諭してくれた。この一件で精神的にも自分が大きく成長したと思う」。明鉉さんは今でも、明華さんや祖国の関係者をはじめ、自分を支えてくれ人々に感謝しているという。 民族楽器、高音チョッテ演奏家の李淑任さん(30)は、94年の舞台に立つため1カ月間祖国に滞在した経験がなければ、今の自分はいないと断言する。「長く滞在していると、在日同胞への祖国の配慮が当たり前のように思えてしまうことがあるが、決してそうではない。大人になってみると、しみじみと感じる」と話しながら、生徒らに「祖国訪問の日々を思い起こしながら、おのおのの夢を実現してほしい」とエールを送った。 苦楽を共にした日々 固い絆で結ばれる 一つの目標に向かって団結した「迎春公演」出演経験者らは、月日が経った今でも固いきずなで結ばれている。平壌に滞在していた人たちの誰もが、各地の多くの友人と連絡を取り合っていると話していた。同期生ほぼ全員が集まって旅行したともいう。 9年前の「迎春公演」に出演し、今回生徒らの引率をした朝青中央の玄泰秀さん(23)によると、10年前に出演したメンバーらは今年、同窓会を開く。9年前のメンバーらも節目の10周年となる来年に集まることを計画しているという。「今回の生徒らも将来、そうなるだろう」。 祖国を出国する前日、芸術団全員が集まった。栄光の舞台に立てた喜びと感激、苦楽をともにした日々を振り返り、祖国で見て感じたことを共有していた。 壇上で討論した九州朝鮮中高級学校の朴成亜さん(中2)は、「日本に帰っても朝鮮人としてしっかりと生きていく」と力強く決意を語りながら、「ともに舞台に立ったメンバーとの友情はこれからもずっと変わらないと思う」と話した。 [朝鮮新報 2011.2.23] |