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〈渡来文化 その美と造形 42〉 金石文@ 多胡碑

 多胡碑は群馬県多野郡吉井町にある。711(和銅4)年になった。近くに建っている山ノ上碑(681=天武天皇10年)と金井沢碑(726=神亀3年)とを含めて上野三碑と称せられ、古代史研究上、大変大きな意味を持っている。

 多胡碑は直方体で、碑身の高さ126センチ・幅60センチ、笠石を上に載せるが、その厚さ15センチ・軒幅90センチである(数値は概数)。文字は漢字80字で、6行に分けて彫っている(写真参照)。その内容を要約すると次のようになる。

 「上野国の片岡郡と緑野郡・甘良郡を合わせた三郡のうちの三百戸で新しい郡を設け、羊(人名)に給して郡司とし)、その郡名を多胡とせよ」という命令が、和調4年3月9日、多治比真人三宅麻呂、穂積親王、石上朝臣麻呂、藤原朝臣不比等によって宣示された。

 この碑文の内容は、奈良時代の正史である「続日本記」和銅4年3月6日条に見える記録、「…上野国甘良郡織裳・韓級・矢田・大家・緑野郡武美、片岡郡、山等の六郷を割いて、別に多胡郡を置く」とあるのと基本的に一致し、格段に史料的価値を高めている。

 ところで、吉井町を中心とする一帯には新羅人が集住していた。天平神護2年(766年)には「上野国にいる新羅人子午足等193人に吉井連の姓があたえられた」(「続日本記」)とある。吉井連というのは地名「吉井」による。碑も吉井の地にある。碑に見える「羊」も吉井在住である。その地域に新しくわざわざ「多胡郡」−「胡=外国人」−「外国人の多い郡」を設置し、長として「羊」を任命した。この「羊」さんは新羅人「子」さんと同じような名乗りである。古代日本人の名乗り、山上宿祢とか、藤原連とかいう「宿祢」「連」が元々なかった。「羊郡司」さんはどうも新羅人であったようである。

 そういえば、日本史に初めて登場する動物としての羊も百済からのプレゼントであった。

 ちなみに、この碑は国指定史跡である。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表)

[朝鮮新報 2011.2.21]