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ベストセラー「ハングルの誕生」の著者 野間秀樹さん(57) 東アジアの相互理解へ掛け値なしの貢献

 「奇跡の文字」、その秘密に迫ると銘打たれた平凡社新書「ハングルの誕生」が、昨年5月の初版以来6版を重ね、3万部に達するロングセラーとなっている。なぜ、人々はこの本に魅せられるのか。著者の野間秀樹・前東京外国語大学大学院教授は「ハングルの誕生には、単なる文字ではなく、広く人間の知をめぐる巨大な問いが横たわっており、それは知をめぐるドラマであった」と鮮やかに解き明かしている。読者が本を読み進むほどに、「心を躍らせる幸福感に包まれる」理由は何だろう。著者に伺ってみた。

−本を読みながら、久しぶりにドキドキさせられました。まず、野間先生がハングルに魅せられたのはなぜでしょうか。

 野間 うれしいですね。そうおっしゃられると、私もドキドキします。東京教育大学(現筑波大学)に入学して、教育学部芸術科で現代美術の勉強をしながら、6年間在籍していたのですが、そこで、20歳の頃から朝鮮語を独学で学び始めました。1970年代の初めの頃は、今のように、朝鮮語に関する本やCDがあるわけではありませんでした。ほとんどの大学にも朝鮮語の講座はありませんでした。立教大学の梶村秀樹先生の朝鮮史の授業などももぐりで聴きに通いました。もう時効ということで許していただけるといいのですが。先生は授業で金九の自叙伝を原書で読みながら訳されるので「すごいな」と感動した。でも勉強すればするほど、わからないことが増えるんですね。

 それで、東京・板橋だったと思いますが、総連の支部におじゃまして青年同盟の方に朝鮮語を教えてほしいと頼んだことも。とても凛々しい青年が対応してくださって、「この朝鮮語の新聞を読んでみなさい」と。それで、読むと「1人で学んだのか、えらい」と真顔で褒めてくれました。うれしかったですね。しかし、残念ながら、そこで学ぶことはできませんでした。

 その後、早稲田大学の語学研究所で、文学の大村益夫先生、それから母語話者の金裕鴻先生の講座で学ぶことができました。師というもののない身にとって、本当にうれしいことでした。

 79年に、日本の美術家3人と一緒にソウルに初めて行って、ソウルの3人の作家と現代美術のグループ展を開くプロジェクトを持ちました。当時は「日本人を初めて見た」という人や「日本人は嫌いだ」と面と向かって言う人もいるような時代。私自身は、通訳なども含め、この体験を通して、人や言葉に触れ、心底、感銘を受けました。

−長い間の独学の経験が、この本の誕生につながったのですね。

 野間 独学していた頃、私にとって師と呼べるのは本だけ。ありとあらゆるものは書物に尋ねるしかないのです。書物がいかに大切か骨身に沁みているわけですね。ですから孤独に学んでいる人のためにこそ、書かねば、本を書くときは、正直、いつもそういう思いがたぎるのです。

 見ると、書き手は、本を出すときに、往々にして原稿を編集者に渡して終わる。私は、本を書かせていただくときは、「書物は形式も内容の一部である」と編集者の方に真っ先に言うのです。中身はもとより、表紙から帯にいたるまでビシーッと魂を込めたい。視覚的にも美しく、手触りまでも最高のものを作りたいわけです。

−この本を読むと、先生とともに、新たな文字と文章が生まれる革命に立ち会ったような気になります。

 野間 うれしいですね。私は、ハングルは、おもしろい、すごい、そして深い、ということをどうしても書きたかったのです。ハングルを見ると、漢字や仮名やローマ字も見える。文字だけではない、言語とは何か、知とは何か、そこには知と感性のありとあらゆる細部を支えるものがあり、大きな深い問いが横たわっています。ハングルの誕生とその歴史を広く普遍的な視野から見つめ直せば、日本語についても、あるいは言葉というものを学ぶことや教えることについても、さまざまな形で考えを深める、大きな手がかりを得ることができると思うのです。

 日本の読書人の間で、あるいは若者たちの間で、現在のソウルから発信される映画や歌などについては、しばしばのめりこむほどまでに共感されていますね。文学についてもだいぶ知られるようになってきました。

 では、知の世界ではどうでしょうか。「どうだ、これは」と言えるものは何か。こうした問いに真っ先に答えるものが「訓民正音」つまり「ハングル」であると思うわけです。しかし、そのすごさ、深さを日本語でわかりやすく書かれたものがこれまではなかった。

 学術書、論文はぼう大なものがあるわけですが、読書人の目にさえ、なかなか触れえないわけですね。

 たとえば、朝鮮のことをよく知っている知識人でも「中国はすごい、日本もすごい」と思っても、「朝鮮半島はそれなりにがんばっているかな」という程度ではないでしょうか。芸術や文芸を除くと、朝鮮語圏の「知」は要するに日本ではほとんど知られていないのです。

 こうした中で、その「訓民正音」の思想の知の高みをどれだけ書けるかということによって「訓民正音」の評価がまったく変わってくるわけですね。私たちはぎりぎりの知の高みを描ききらねばならない。そのためには、過去に何かおもしろい文字があってユニークだなどといった表面的な説明で終わるのでもなく、民族の栄光を誇るだけのような狭い民族主義的な方向でもなく、同時代、現代の私たちから見て、「訓民正音」とその思想をいかに位置づけうるかという、普遍的なところから見たい。そのためにはどうしても、優れて言語学的、文字論的な視座、そして「知」という視座から照らさねばならないわけです。

 ハングルは20世紀の言語学が到達した「音素」という単位、自分たちの言語の音素に、すでに15世紀の半ばに独自にたどり着き、その音素それぞれに形を与えた。「音を形にしよう」という思想ですね。この音素に相当する単位によって、音節を初声、中声、終声という3つの要素に解析するわけです。

 もっとすごいのは、高低アクセントを文字体系に組み入れ、それも今日「傍点」と呼ばれる点を用いて形にしたことです。傍点は今日のハングルでは用いられていないので、ややもすると忘れられやすいのです。現代の平壌方言やソウル方言では失われていますが、15世紀の朝鮮語ではアクセントで言葉の意味を区別していました。これを傍点で表したわけです。日本語の東京方言の「端で」「橋で」「箸で」のように、音の高低で単語の意味を区別していたのです。ちなみに今、漢字で書くと、表意文字ですからこの3つの意味の区別ができますが、「はしで」と仮名で書くと、意味がわかりませんね。仮名は音を表すけれども、アクセントが表記されないからですね。音の高低が意味の区別に関与しているにもかかわらず、仮名には表記されていません。

 世宗たちのすごさの一つは、「意味の区別に関与する要素はすべて形にする」という思想にあります。このアクセントに関しては、研究者たちもしばしば本質を見失います。音節を3つに分けて、まあ、アクセントも表記した、というふうに、まるでおまけのように言いがちなのですね。それは違う。アクセントも、ではなく、「訓民正音」の思想にあっては、アクセントの表記は不可欠のものとして位置づけられている。つまり一つの音節を初声の子音、中声の母音、終声の子音、そしてアクセントという四つの要素に解析し、そのすべてに形を与え、それらを動的に総合するという、まったく新たな仕組みを作り上げたのです。

 いま動的と申し上げましたが、この点はハングルの一文字だけ見ていてもわからない。どうしても音節と音節の結合まで見なければ、そのおもしろさはわかりません。さらに文字を作っただけで文章ができるわけでもありません。文章、テクストは新たに創造しないといけない。

 いずれにせよ、こうしたシステムは漢字とはまったく異なったものですね。世宗たち朝鮮王朝の知識人たちは、「正音」の創製にあたって漢字のシステムを捨てるところから始めた。これが重要なのです。

 そしてこうしたシステムこそが、漢字では表せない、朝鮮語の固有の言葉を表しうるわけです。擬声擬態語などに至るまでですね。

 「訓民正音」以前、固有の言葉は「知」ではありませんでした。日本語で言えば、漢語は知だけれども、和語は知でなかったというようなものです。「もののあはれ」とか「わび」とか「やまとごころ」などといった、固有の言葉で表されるものは知ではなかった。母語は知ではなかった。存在論の根本「ある」という言葉も、認識論の根本「しる」という言葉も知ではなかった。いわばそういった時代の中で、「訓民正音」は、ありとあらゆる固有の言葉、母語を「知」の中に組み入れるわけです。これはすごい。知の根幹がまったく組み替えられるわけです。このこともこれまでの訓民正音論がきちんと位置づけてこなかったことだと思います。

 今お話したことは一例にすぎないのですが、「訓民正音」をめぐる、ありとあらゆる問題について、いま一度、普遍的な地平から照らし返すと、ことによっては、人間にとって根底的な問いを問うことにもなりうるわけです。そういう意味で、「訓民正音」は、単に一つの言語圏だけの財産ではなく、類的存在としての、人類としての大きな資産であると思います。

−本には「ハングル」への敬意、愛情、好奇心などあらゆる豊かな感情が流れています。

 野間 私がハングルにのめり込んで、ハングルだけ褒めちぎっていると思っておられる方がいるかもしれませんが、違うんですね。もちろん、漢字も仮名も非常におもしろいのです。そうしたおもしろさについてはすでに多くの書物があります。ただ、「訓民正音」のすごさは決定的に知られていない。そのすごさに少しでも肉迫したいわけです。

 知というのは、歴史の中に息づいているものですね。しかし、ある時代に屹立する高い知というものが、過去に単に存在したからといって、人々がそれを知として認識するわけではない。今日の同時代人がぎりぎりと言語化し、位置づけ直して初めて、歴史の中の知を同時代の知として共にしうるのだと思います。そして感動も共にできるわけですね。そういう意味で「訓民正音」は過ぎ去った栄光ではなく、未来をも照らしてくれる、現在の私たちにとっての「生きた問い」なのです。

−この本について、思想家の西谷修先生が、「どんな分断も対立も超えて行き交える知の営みによる東アジアの相互理解への掛け値なしの貢献」であると言っておられるのは、まさにそうしたことなのですね。

 この本を野間秀樹先生は、「『訓民正音』とは、アジア東方の極に現れた、エクリチュールの奇跡である」という言葉で結んでおられます。私には「訓民正音」の奇跡でもあり、私たちが「ハングルの誕生」という書物と出会える奇跡でもあるように思えます。この書物の感動を、読者のみなさんと共にしたいと思います。ありがとうございました。(平凡社新書、980円+税、TEL03・3818・0874)

※のま ひでき。1953年、福岡市生まれ。前東京外国語大学大学院教授。朝鮮言語学、日韓対照言語学、朝鮮語教育を中心に、音論、語彙論、文法論や言語存在論などの論著がある。著書に「新・至福の朝鮮語」(朝日出版社)、「絶妙のハングル」(日本放送出版協会)など多数。

(聞き手=朴日粉)

取材余話

 昨年、「第22回アジア・太平洋賞」(主催=毎日新聞社・アジア調査会)の大賞を受賞した「ハングルの誕生」。歴史、文化から言語学、記号論、音声学など多岐に渡る概念を駆使しながら、ハングルの世界史的な意味を追究した傑作である。推理小説のような緊張感もあり、読者の知的好奇心を満たし、飽きさせずに引っ張っていく。スリリングで、知的、掛け値なしのおもしろさで、ワクワクさせられる。創製の頃は漢字と闘い、20世紀には日本語と闘ったハングル、そのたどった軌跡。その闘いはまさに朝鮮民族のたどった運命に重なる。併合100年の昨年、ハングル創製から567年に及ぶ壮大な知のドラマを世に問うた奇跡に脱帽するしかない。

[朝鮮新報 2011.2.18]