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〈高句麗の豆知識-G〉 輝かしい足跡

広開土王碑(レプリカ 朝鮮大学校)

 朝鮮史上もっとも強大な国家、高句麗は栄光の時代である。

 その偉大な足跡を大きく分けて見ると次のようになる。

@建国から一大強国に成長した時代
 朱蒙による建国に始まって、失われた古朝鮮の領土回復のための漢との戦争。そして魏、燕などの漢族との長い戦争。ついに広開土王碑に見られる覇権宣言の時代である。

A平壌首都時代
 高句麗は、427年に首都を国内城から平壌城に移した。平壌には九寺が建立され、その仏教文化は栄えた。百済に仏教を伝え、百済の仏教は新羅の皇竜寺の建立に至る。また、海を越えて高句麗式寺院は倭国にも伝わった。5世紀の倭には、高句麗式の古墳が伝わっている。

B高句麗と隋が覇を争った時代
 統一国家隋の出現は、高句麗との対決をもたらした。戦いに敗れた隋は滅び、高句麗は戦勝記念碑、「京観」を建てる。

C高句麗と唐の大戦争の時代
 唐は隋と同じく高句麗に兵を進めた。しかし唐も3度敗れる。唐の太宗は、われ天下の大軍をもってしても小夷(高句麗)に苦しめられるのは何ゆえであろう、と嘆いた。

D高句麗と新羅・唐連合軍の大戦争時代
 新羅・唐連合軍による百済の滅亡(660年)と、それに続く高句麗と新羅・唐軍の戦争(660〜676年)の時代。新羅の背信によって腹背からの攻撃についに高句麗は敗北した。

E渤海と唐の対決と南北朝時代
 高句麗と百済の再興を目指す残存勢力が、新羅と力を合わせて唐に対抗した時代である。高句麗の地に高句麗の王族の大氏が渤海国を建てる。唐から「海東の盛国」と呼ばれた渤海と新羅が新たな朝鮮の南北朝時代を開いた。渤海は926年まで存続した。

 以上のように、高句麗建国以来10世紀まで朝鮮史は大陸・半島国家として栄えた。

 私たちは、大高句麗の偉大な遺産を大いに誇り、学ぶべきであろう。(金宗鎮、在日本朝鮮社会科学者協会東海支部会長)

[朝鮮新報 2011.2.10]