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〈第33回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 高級部 作文部門 1等作品 (要旨)

突破口

 2010年6月12日付神奈川新聞に私のインタビュー記事が掲載された。「高校無償化」問題に関する新聞記者の質問に対する私の発言内容が紹介されている。

 生まれて初めて日本の新聞に名前が載ったので、誇らしくもありなんだか照れくさい気もした。その記事が出るまでに経験したあらゆる出来事が走馬燈のように浮かぶ。

 日本の政権が民主党へと移行された後、民主党のマニフェストの一つである「高校無償化」問題が世論を激しく揺るがせた頃だった。ウリハッキョが「無償化」の対象から除外されるかもしれないという青天のへきれきのような知らせに、日本の各地で抗議と要請活動が活発に繰り広げられた。

 高級部1年の学校生活が終わりを迎える頃、私は友だちと一緒に署名運動に初めて参加した。その時、横浜5番街に立った私の心は、正直ただただゆううつだった。5番街は、俗に「浜族」と呼ばれる日本の青年たちが昼夜なく騒ぎ立てているという通り。チョゴリを来て通学するだけでも目立つのに、そこで署名活動をするなんて…声を張り上げ署名をお願いする私たちを人々はどんな目で見るのか不安が先立った。

 予想通り、私に向けられた人々の視線は冷たかった。その日、私がもらった署名は10人。2枚分だった。

 いくら私たちが声をあげても、支持してくれる日本人はさほど多くはない…との失望に近い落胆が胸をしめつけた。

 何がおもしろいのか、若者たちの冷ややかな笑い声と目ばかりが思い浮かぶ。二度と署名活動に出たくないとまで考えてしまった。

 1カ月後、2年生に進級した私は、クラス委員選出会でまさかの「対外部」を任された。

 「対外部」とは他でもなく、「高校無償化」要請活動を行う上で先頭に立つ担当者ではないか。私は正直、不安より負担の方が大きく感じられた。

 そんなある日の放課後、担任の先生に私は呼ばれた。先生は、私に署名用紙の束を渡した。

 「これは高2のオモニ会の役員が君たちのために集めてくれた書名です」

 署名用紙の束は20枚、いや、30枚はあった。高2のオモニ会の役員はたったの4人だ。

 (1週間もしないうちに4人のオモニがこんなにたくさんの署名を集めたなんて…)

 私は驚いた。署名活動の苦労を私もよくわかっていたからだ。それだけに署名用紙に込められたオモニたちの熱い思いをいっそう垣間見ることができた。私は署名用紙を両手で受け取った。いままで無関心と悲観に陥っていた自分がとても恥ずかしかった。

 その日私は、今までの自分を深く反省し、クラス全員の前で強く呼びかけた。翌日からは毎日要請メールを5通以上送り、要請電話も精力的にかけた。

 6月初旬、私が「対外部」になって初めての署名活動の日だった。私の心は責任感と使命感で熱くなっていた。明らかに初めのころとは違っていた。場所は以前と同じ5番街。声を張りあげビラも配った。ウリハッキョ、朝高生の姿を多くの日本人に伝えるために…。

 あるおばさんは、「がんばってね。応援してるよ!」と声をかけ署名をしてくれた。若い女性は通話中の電話をいったん切り、私に駆け寄って署名してくれた。(良心的な日本人もいるんだ。私たちがあきらめずに活動すれば、この思いが日本の人たちにきっと伝わる)

 今まで感じたことのない新鮮な気持ちが体中に広がっていった。私ももっとがんばろうと心に決めた。道行く人々に積極的に近づき、そして署名を集めていった。

 そのときだった。一人の男性が私に近づいてきた。

 「『高校無償化』に使われる金は日本人が出した税金だ!」

 そう言って足早に駅に向かって立ち去ろうとした。突然投げかけられた言葉に恐怖心さえ抱いた。以前の私ならその場で座り込んでしまったかもしれない。しかし、そのとき私はその男性に向かって走っていた。

 「私の両親も税金を払っています。日本人だけが税金を納めているわけではありません!」

 私の言葉に男性は目を大きく見開いた。そして無言のまま駅の構内へと去っていった。急に飛び出したその言葉に、自分自身驚いた。私はそのとき、日本人の中には私たちを支持してくれる人もいれば、理解が少ない人たちもいるのだということに気づいた。ならばなおさら私たちがやらなくてはいけないことが多く、果たすべき役割が大きいのだと思うようになった。

×   ×   ×

 このような私の経験と思いが神奈川新聞に掲載されたのだった。

 かつて高野連や高体連加盟への突破口を開いたのも神奈川中高をはじめとする同胞たちであり、それを支えてくれた日本人であったという。

 「高校無償化」が朝鮮学校に適用される日は遠くないと思う。「高校無償化」は単に授業料に対する「無償化」適用の問題ではなく、民族教育の正当な権利を獲得するための一つの突破口でもあるからだ。

 私は在日朝鮮人の民族的権利を獲得する活動で突破口を開いていきたいと切実に思った。

(神奈川朝鮮中高級学校 成美有)

[朝鮮新報 2011.2.4]