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〈久しぶりに訪朝して-@-〉 マスコミの北報道を鵜呑みにしない

予断を排し、自らの頭で判断する

3度目の訪朝

平壌空港に到着した親善訪朝団のメンバーら

 「日朝友好兵庫県民の会」が、昨年8月27日〜31日の日程で朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)に2度目の親善訪朝団を派遣した。

 朝鮮の首都平壌、関西空港から空路直行だと3時間かからないだろう。しかし、日本と朝鮮の間で国交が結ばれていない現状では、北京経由で丸1日かけないと行くことができない。関西空港を出発して平壌空港に降り立つまでの時間の長さが、現在の日本と朝鮮の政治的関係を如実に表している。

 私にとっては今回で3度目の訪朝であったが、知人から「北朝鮮なんかになぜ行くのか」という言葉をよく聞かされた。私の身を心配してのことだろうが、そのたびに日本のマスコミ報道がいかに偏ったものなのかを思い知らされる。そもそも、「北朝鮮」という呼び方も気に入らない。朝鮮半島の北に位置するので「北朝鮮」と呼ぶなら、南に位置する韓国は「南朝鮮」であろう。少なくとも、国連加盟国である独立国家の国名くらいは正確に使用すべきであり、大韓民国を「韓国」と呼ぶなら、朝鮮民主主義人民共和国をせめて「朝鮮」と呼んでもいいのではないか。

 私が訪朝したいと思った一番の動機は、マスコミに対する不信感だ。朝鮮に関する報道が真実を伝えているのか、自分の目で見てみたいということであった。「偏見は無知から生まれる」。私たち被差別部落出身者は、この言葉の意味を肌身で思い知っている。確かに、すべてを見ることはできないかもしれないが、行ってもみないでマスコミ報道を鵜呑みにするわけにはいかない。もちろん、私はこの地球上に楽園のような国家など存在しないと思っているし、朝鮮のすべてが素晴らしいとも思っていない。しかし、予断を排し、自らの目で見て、自らの頭で判断することこそが、何よりも大切だと考えている。

北京で一泊

機内から見える平壌空港

 今回の親善訪朝団は、「県民の会」の杉田哲幹事長を団長にした11人で、初めて訪朝するメンバーが5人いた。私たちは、8月27日午前10時発の全日空159便で一路北京へ。以前は、関西空港から中国の瀋陽を経由し、その日の夕方には朝鮮に入ることができたが、採算が取れないとして全日空は瀋陽便を廃止していた。2時間余りのフライトで北京国際空港に到着した後、ビザ発給申請のため朝鮮大使館へ直行。結局、そのまま北京市内のホテルにチェックインし、この日の日程は終了ということであった。

 翌日の午前中、天壇公園を参観した。私としては何度か訪れた場所ということもあり、さほど珍しくもなく、一刻も早く朝鮮の地を踏みたいとの思いであった。午後、北京空港で出国手続きを済ませ、やっと平壌空港行きの高麗航空機に搭乗することができた。高麗航空が保有している旅客機は、すべてが旧ソビエト製かロシア製だ。2年前に乗った時は、「こんな飛行機で大丈夫なのか」と思ったものだが、今回は機内もきれいで、ソファーもゆったりしていた。きっと新型機だったのだろう。

 余談だが、2年前に同行していただいた総連兵庫県本部の金相行国際統一部長(当時)が、不安そうな顔をしている私に「わが国のパイロットは、現役の空軍パイロットなみなので腕は確かですよ」と冗談半分に言った言葉が思い出された。

朝鮮の地を踏む

建設が再開された105階建ての柳京ホテル

 午後4時、私たちが乗った飛行機はようやく平壌国際空港に降り立った。関西空港を飛び立ってから、およそ30時間かけて到着したことになる。現役の空軍パイロットかどうかは知らないが、ほとんど衝撃のないランディングは心地よく、確かに腕はよかったように思う。

 私にとっては2年ぶりの平壌。タラップから真っ先に目に入ったのは、空港ビルの正面に掲げられた金日成主席の大きな肖像写真だ。「ああ、朝鮮に来た」という実感が湧き上がってきた。入国手続きを済ませると、朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の李河進さん、金明日さん、呉星宇さんが出迎えてくれた。李河進さん、金明日さんのお2人は、2年前にもお世話になった方々で、私に気付いた李河進さんが「あっ、川端さんでは…」と、笑顔で手を差し出された。私たちは、2年ぶりの握手で再会を喜び合った。

 その後、対文協が用意してくれた専用バスで、宿泊先の普通江ホテルへと向かった。平壌市内には大同江という大河が蛇行して流れている。普通江ホテルは、その名のとおり大同江の支流にあたる普通江のほとりにあった。まわりを木々が囲み、目の前を普通江がゆっくりと流れる景色は、なんとなく風情があり、私たちをほっとさせた。

 今回で訪朝歴10回を数える友井公一先生によると、以前は京都の老舗旅館のような趣きがあったという。今は改装されて9階建ての近代的なホテルになっているが、環境の良さは平壌随一だろう。

街並みを眺めながら

 平壌市内に向かう車中で金明日さんの説明を聞いた。平壌は朝鮮半島の西北部に位置する低地帯にあり、「平らな土地」ということから「平壌(ピョンヤン)」と名付けられた。古くは、高句麗の都として栄え、柳の木が多いことから「柳京」とも呼ばれていたという。朝鮮戦争のとき、米軍の空爆で一面焼け野原にされたが、国をあげて復興に取り組み、現在のような整然とした街に生まれ変わった。

 市民の交通手段は、おもに地下鉄とトロリーバス。交通渋滞はまったくないが、2年前に来た時には交差点の真ん中で交通整理をしている女性の姿があった。あのキビキビとした交通整理の様子を期待していたが、今は信号が設置されて彼女たちの姿を見ることはできなかった。

 市街地に入ると、民族衣装に身を包んだ若い女性たちが歩いていた。朝鮮にもいろいろな記念日があり、ちょうどこの日(8月28日)は「青年節」とのこと。きっと、若者たちがおしゃれをして、さまざまな行事に参加した帰りだったのだろう。

 久しぶりの平壌の街を見て、2年前の記憶が少しずつよみがえってきた。ひときわ目につくのは、大同江の東岸にある高さ170メートルのチュチェ思想塔だ。金日成主席の生誕70周年を記念して建設されたものだとのこと。街並みの様子は、以前とほとんど変わっていなかったが、1992年から工事が中断されていた柳京ホテルの建設が再開され、三角錐型の巨大な建造物が空に向かって銀色に輝いていた。完成すれば105階建の超巨大ホテルとなり、2012年のオープンを目指しているという。

 この日の夜は、普通江ホテルの食堂で対文協の方々を交えて朝鮮料理に舌鼓を打った。久しぶりの再会と朝鮮に来ることができたという安堵感から、ついついアルコールもすすんでしまったが、夕食が終ると「カラオケでも歌いに行きましょう」と李河進さんからのお誘い。カラオケが設置された一室へ案内されると、日本製のカラオケ機器がでんと据えられていた。金明日さんは、「ビールをあけろ、底まで飲もう…」と、少し古いが日本の歌謡曲を大声で歌って私たちを和ませた。もちろん、団長の杉田哲先生、副団長の今西正行先生、同行していただいた総連兵庫県本部の康永洙副委員長にも自慢ののどを披露していただいた。(部落解放同盟兵庫県連合会事務長・川端勝)(訪朝記は4回にわたって掲載します。編集部)

[朝鮮新報 2011.1.19]