〈月間平壌レポート -11年3月-〉 話題は地震、市民たちに緊張感 |
災害対策キャンペーンも展開 【平壌発=姜イルク】金正日総書記は東日本大震災で被災した在日同胞に慰問金50万ドルを送った。また国際的人道主義の精神に基づき朝鮮赤十字会が日本赤十字社に慰問金10万ドルを送る措置も講じられた。日本当局の制裁措置によって朝・日関係が最悪の状態に置かれている中でも、日本の遺族と被災者たちに対して哀悼の意が示された。多くの平壌市民も、「今回の措置はわれわれの心情を代弁している」と語った。
衝撃的な映像
「1974年の、たしか平日の夕方だった」。地震が話題になり、誰かがこう切り出すと、体験者の誰もが相づちを打ちながら、当時の自らの体験を語り始める。今回、朝鮮国内で東日本大震災の報道が流れた際もそうであった。年配者は40年近く前に起きた地震を克明に記憶している。それくらい、朝鮮では地震が珍しい。 12日、朝鮮中央テレビは東日本大震災の報道を20秒ほどで短く伝えた。その翌々日は、2分半にかけて津波被害などの映像を交えながら詳細に伝えた。テレビから流れる衝撃的な津波の映像に、市民らは言葉を失ったという。 茨城朝鮮初中高級学校の姉妹校である平壌栗谷中学校の女子生徒は、「テレビを見て鳥肌が立った。怖くなって眠れなかった」と話していた。
労働新聞、朝鮮中央テレビをはじめ国内の新聞、テレビは、東日本大震災の被害、福島原発での事故とその経過を詳細に伝えている。とくに、民主朝鮮、平壌新聞などの各紙は、水が引いた後に、廃墟の中で船舶が倒壊したマンションの上に乗り上げた写真などを複数掲載しながら報道した。
同時に、総連の活動についても随時紹介している。 市民たちの共通した反応は、総連と在日同胞に対する心配であった。取材先で会う人々は、現地に直接赴いて、被害に遭った在日同胞らを激励、救援したいという気持ちを述べていた。 現在、国内メディアは、地震に対する注意、対策を一斉に呼びかけている。平壌新聞は18日付から「地震の常識」というタイトルで連載を始め、地震発生の原因、地震の予兆、地震発生時に取るべき行動などについて解説した。多くの市民が大きな地震の経験がない。それだけに国内のメディアは、地震災害対策に警鐘を鳴らすキャンペーンを展開している。スマトラ沖や中国・四川省で起きた地震の際もそうだった。 最近、朝鮮の有名なミネラルウォーターである「シンドク湧き水」が出なくなった。白頭山でも火山活動の兆候が見られるという。このような自然界の異常現象に対する事実が人々の間に広まり、市民らは、朝鮮にも地震が来るのではないかと、緊張感に包まれている。 昼もライト点灯 25日から平壌市内を走る車はすべて、昼にもライトを点灯するようになった。交通安全措置の一環だという。 平壌の交通事情はここ半年間でだいぶ変わった。朝鮮は右側通行で、右ハンドル車両の事故発生率が高かったという。 このような事情から、昨年10月からは右ハンドルの車両が一切走れなくなった。 同時に、新型信号機が全面的に導入された。それ以来、交差点の真ん中で女性交通安全員が車両通行を整理する姿が見られなくなった。 新たに導入された信号機は、定められた時間間隔で変わる日本の信号機とは違う。 道路に感知器が設置されており、十字路などでは、より車両通行の多い道路の信号が長い間「青」になるように設定されている。支線道路に車が走らなかったとすれば、ずっと「赤」のままだ。 交通安全員の役割は、車の流れをスムーズにすること。人間がやっていたことを機械にさせるようになった。昨年の春から試験導入され、10月から全面導入された。 ドライバーにてきぱきと指示を送る女性安全員という長年見慣れた「平壌の光景」が一つなくなったのは少し寂しいが、2012年に向けて、道路にもCNCの風が吹いているということか。 3月に入り、2012年に強盛大国の大門を開こうという機運がさらに高まっている。 青年らの大会を皮切りに、農民、女性、スポーツマンなどが大きな大会を催し、2012年に向けて決起した。 一方、金日成主席生誕99周年(4月15日)に向けた動きも活発化している。 毎年恒例の金日成花祭典や「4月の春親善芸術祭典」などの開催が予告され、4月18日からはメーデースタジアムで世界最大のマジックショーが開催されることも発表された。各部門ではその準備が着々と進んでいる。 また、3月中旬から早くも、華やかなイルミネーションの点検作業が行われ、チュチェ思想塔前の大同江に「踊る噴水」が設置された。 今年の冬は1945年以来の大寒波が押し寄せたが、3月の気温は平年並みに上昇。街並みにも気候にも本格的な春が到来している。 [朝鮮新報 2011.3.31] |