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「帰順」ありえない 南抑留住民の家族が証言

 【平壌発=姜イルク】南側に抑留され「帰順意思」を示したとされる4人の北側家族が本紙記者の取材に応え、南当局に対して無条件での即時送還を求めた。

待ちわびる家族

「ウリ民族同士」が公開した北側家族へのインタビュー

 いわゆる「帰順」したとされているのは、ポン・ウナさん(21、女性)、パク・ミョンオクさん(22、女性)、オク・ソングァンさん(39、男性)、ホン・ヨンハクさん(45、男性)だ。

 2人は未婚女性であり、男性2人は既婚者で家庭を持っている。4人には北側に帰還を待ちわびる家族がいる。

 パク・ミョンオクさんは1996年にアボジを亡くし、幼い頃からオモニのキム・オクチンさん(49、黄海南道海州市在住)と二人で暮らしてきた。オクチンさんはミョンオクさんについて、「オモニしか知らない娘」だと表現する。

 仕事の終わりが夜中の2、3時になっても必ず家に戻り、オモニと一緒に床に就くのが日課だったという。「自分の服を買いなさいと与えたお金で、オモニの服を買ってくるようなオモニ思いの子でした」。

 取材時に、娘から買ってもらった服を着ていたオクチンさんは、「どうして私の娘が。あの子は絶対にオモニを捨てるようなことはしない」と話した。

 ポン・ウナさんは海州市でアボジのヨンチョルさん(48)とオモニのリ・ジョンファさん(47)、弟のチョルグンさん(19)と「不自由なく仲良く」(ジョンファさん)暮らしていた。

 ウナさんは1年前に朝鮮人民軍に入隊した弟をとてもかわいがる心優しい姉だったという。ジョンファさんは、「ウナが『帰順』したというのは絶対にありえない。謀略だ。一日も早くウナを返してほしい」と訴えた。

 ホン・ヨンハクさんの妻であるキム・ヒョンスクさん(44、元山市在住)によると、ヨンハクさんは軍を除隊後、平壌にある韓徳銖軽工業大学を優秀な成績で卒業した。その後、元山水産事業所に勤め、昨年5月から海州市で働き始めた。

 医学専門学校に通ったヒョンスクさんは、夫がいる部隊で軍医として働いている時に出会ったという。彼女は当時を振り返りながら、「夫は今でも家族を愛している」と話した。

 ヒョンスクさんは夫の祖父が朝鮮戦争(50〜53年)に従軍し犠牲になった英雄であり、アボジは60歳を超えても軍人であった事実に触れながら、「どうして夫が『帰順』することができるのか。最後まで信じている」と語った。娘のチヒャンさん(15歳)は、「(アボジは)私を本当にかわいがってくれた」と、目頭を押さえながら言葉を詰まらせた。

 オク・ソングァンさんの妻であるシム・ミョンオクさん(35)の代わりに、取材に応じた義姉のリム・ヨンオクさん(44)は、ミョンオクさんが最近手術を受け体調がまだ回復していないと明かした。

 その上でミョンオクさんと9歳、11歳の2人の子どもたちは、ソングァンさんの帰りを心から願っていると語った。「(ソングァンさんは)水産事業所で10年以上働いてきた。職場の同僚からの尊敬と信頼を得ている。『帰順』は考えられない」。

船長と計算員

 家族らの証言を総合すると、漂流した船には2隻の船員たちが乗っていた模様だ。港を出発した直後に一隻が故障し、もう一隻に同乗したのだという。

 家族らの話を聞く過程で確認できたもう一つの事実は、4人が乗組員のうちで責任ある立場にいたということだ。「帰順」したとされる男性2人は2隻それぞれの船長であり、女性2人は計量員だった。計量員とは、誰がどれだけ収穫を上げたかを確認し分配量を計算する重要な職務だ。

 また31人の中には、「帰順」したとされるオク・ソングァンさんの兄・ソンヒョクさんも含まれていることが判明している。同じ境遇で育ち一緒に船に乗った兄がいるにもかかわらず「帰順」したということにも、家族からは疑問の声が上がっている。

[朝鮮新報 2011.3.16]