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平壌の清岩洞土城跡地で高句麗時代の道路発掘

新たに発見された高句麗時代の巡察道路

 平壌の清岩洞土城跡地(平壌市大城区域)で、高句麗時代の巡察道路と防御型の溝が新たに発掘された。

 清岩洞土城は古朝鮮時代の首都城であり、現在の金日成総合大学敷地内に、その跡地があるとされていた。金日成総合大学研究グループによって1995年から97年まで、清岩洞土城の発掘作業が4回にかけて行われた結果、檀君朝鮮時代に初めて築かれた都城であり、高句麗が247年に都を臨時に平壌に遷都した際に再び築き、それ以後に2回(334年、487年)積み直した城であるということが科学的に証明された。

 清岩洞土城の周囲は約3450メートルであり、08年に85メートル区間を復元。また200メートル区間を整理し、現在は国宝遺跡として保存、管理されている。

 今回新たに発見されたのは、土城の城壁の外側から板石で舗装した幅1・8メートルに20メートルの区間に達する道路施設。これまで国内で城の内側から道路施設が一部発見された例はあるが、城の外側で道路施設が見つかったのは今回が初めてである。

 当該部門の具体的な研究によって、清岩洞土城で発見された道路施設が高句麗時代に城を巡察する時に利用していた道路であったことが判明した。

 一方、土城では巡察道路とともに幅4メートル、深さ1・5メートル程度の溝も発見されたが、その構造からみて高句麗時代に外敵の侵入を防ぐために掘られた防御型の溝であることが明らかにされた。

 今回、平壌一帯の清岩洞土城で、新たに高句麗時代の巡察道路と防御型の溝が発見されたことは大きな学術的意義を持つとされている。

 金日成総合大学のナム・イルリョン講座長(65、教授、博士)によると今回の新たな発掘を通じて、清岩洞土城が檀君朝鮮時代と高句麗時代にそれぞれ築かれた城であるということが科学的にあらためて証明されたことになり、具体的には高句麗城の構造をより詳しく明らかにできる科学的根拠を持つことになったという。【平壌支局】

[朝鮮新報 2011.2.10]