top_rogo.gif (16396 bytes)

パネルディスカッション 問われている日本の社会のありようと人権感覚(要旨)

「高校無償化」問題から見えてきたもの

まさに国家による差別、一橋大学名誉教授 田中宏

 日本の差別の特徴は、今回でいうならば「高校無償化」問題など、公の場での差別であり、その差別を犯罪として認めないことである。道徳的な悪、限度を超えた差別が犯罪であるというのは、国際社会で共通の認識だ。国連の人種差別撤廃委員会の場でも日本は、差別に対する処罰がないことを批判され、それに関する法律がないことを毎回指摘されている。日本における差別問題と国際社会のそれとのギャップは非常に深刻な問題である。

 しかし国連の条約は日本国内の法律に比べ法的拘束力、強制力が弱いため、なかなか効力が現れていないことも現実である。

 民主党が掲げた「高校無償化」制度は、一条校以外も対象にするという側面ではとても画期的な政策であった。しかし、朝鮮学校は除外された。まさに国家による差別と言わざるを得ないのではないか。

 国民体育大会、国民年金などの「国民」。そこにかつて在日外国人は含まれていなかった。しかし、憲法第26条(教育を受ける権利、教育の義務、教育の無償)では、すべての国民は教育を受ける権利を有するとあり、第30条では、国民は、納税の義務を負うとある。在日外国人が国民であるとするなら納税義務があるように、教育を受ける権利もあるはずだ。

 政府による差別の誤り、一人ひとりが権利の主体という意識は、学校教育で育まれていかなくてはならない。一人ひとりの顔を消さない社会を作り上げるためにも、在日外国人と地域住民が結びつき、活発な運動を繰り広げていく必要がある。まずは、外側の視点で自分(日本)を見ることが大切だ。

 外国人に対する就職差別問題、市営住宅への入居不許可問題などあらゆる差別が起きるたびあちこちで市民運動が沸き起こった。今日、「サランの会」が立ち上がった。今すぐ解決することは簡単ではないが、互いの立場に立ちながら理解し合い、信頼関係を築き上げていきたい。そして、在日朝鮮人をこれからも支えていけるよう尽力したい。

理解し尊重し合う社会を、こども教育宝仙大学教授 佐野通夫

 東北大震災で被害にあった人たちへ「がんばれニッポン!」というメッセージを送る日本人の意識の中には、在日外国人は含まれていない。知らないうちに植えつけられている在日外国人に対する排除意識。また、この状況下で、宮城県で今年度当初、東北初中への補助金を交付しないことが決定された。日本人が持つ在日外国人に対する差別意識は、日本政府による差別扇動によるものであろう。

 一方、今回の大災害において、自然災害である津波とは別に、原発はまさに東京電力の企業犯罪である。にもかかわらず、それを覆い隠すかのような、日本全体的に漂っている異常な自粛ムードは、負けても勝ったという大本営発表、日本政府による言論統制など、戦時下の状況を思い起こさせる恐ろしい事態である。

 国際人権規約第13条には、「教育についてすべての者の権利を認める」と記されている。しかし日本はこの規約を守らない姿勢を貫き通してきた。そして今回起きた「高校無償化」制度から朝鮮学校を除外する問題は、03年に国交正常化がなされていないことを理由に、朝鮮学校にだけ大学受験資格を与えないといったあの頃と同じ状況だ。

 「無償化」除外に反対する運動が各地で起こり、多くの在日朝鮮人、日本市民がたたかってきたが、そのつど外交問題を理由に延期を重ね今日に至る。昨年11月に起きた延坪島事件を「北朝鮮による東アジアの平和を脅かすもの」とし、「高校無償化」制度の審査の手続きを停止した日本政府の超法規的措置には憤りを感じる。

 国旗掲揚、国歌斉唱の強制など、日本人の人権も奪ってきたのは日本国家だ。この大災害時でも「がんばれニッポン!」というメディアコントロールにだまされている日本人は原発問題などで口をふさがれている。日本で差別、歴史認識に対する姿勢を見直し、民主主義を成就するためには、日々の生活の中で互いを理解し合い、互いに人権を尊重し合う社会を築いていくことが大切だ。「サランの会」設立もその第一歩となるだろう。

[朝鮮新報 2011.4.22]