top_rogo.gif (16396 bytes)

茨城初中高の入学式会場で、ウリハッキョが与える元気

復興に向け、踏み出す一歩

 未曾有の被害を生んだ東日本大震災から、1カ月10日、茨城朝鮮初中高級学校で行われた入学式会場は、以前と変わらない笑顔であふれていた。今回の大震災によって、同校や茨城県下の同胞宅、そして、入学対象児童らが暮らす東北地方は深刻な被害を受けた。しかし、入学式の会場には、同胞社会の拠点となる学校を通常通りに運営し、復興に向けた一歩を踏み出そうとする人々の力強い姿があった。

3年後には恩返しを

日本各地の同胞による祝福のなか、入学式を迎えた生徒たち

 例年よりも大勢の人々が参加した今年の入学式は、生徒やその保護者だけのイベントではなかった。この日、会場に集まったのは、北関東、東北を中心とした朝鮮学校の教員、生徒、同胞、活動家ら約300人。

 会場となった体育館に用意された250席のパイプ椅子は、またたく間に埋まり、立ち見も。壁の至るところには、「ともに困難を乗り越えよう!」「早く元通りの学校生活に戻れますように」など、各地同胞から送られてきた応援メッセージや祝電、スローガンが掲げられていた。さながら、日本中の同胞が、この日を待ちわびていたかのような光景が広がっていた。

 新入生たちは、その期待と愛情を誰よりもかみしめていた。

 寄宿舎を併設している同校は毎年、北関東、甲信越、東北の広い地域から生徒を受け入れている。今年の高級部新入学生の中にも、震災の被害がもっとも深刻だった宮城県や、福島第1原発の2次災害に苦しむ福島県から入学した新入生らの姿があった。

名前を呼ばれ、元気よく「!(はい)」と答える初級部児童たち

 東北朝鮮初中級学校を卒業した金弥純さんは、「感謝の言葉しか出てこない」と語った。金さんは、震災により母校が甚大な被害を受けたと悲痛な胸のうちを語りながら、「震災を通じて失ったものも多いけれど、それ以上に祖国と各地同胞のあふれんばかりの愛情を感じることができた。ここからが、スタートだと思う。3年後、立派な人になって同胞社会に恩返しできるよう、茨城初中高で勉強と朝青活動に励みたい」と話した。

 「本当にありがたい。祝電や記念品ももちろんだけれど、他県からこんなにたくさんの同胞が駆けつけてくれると思わなかった」。福島朝鮮初中級学校を卒業した尹愛順さんは、満面の笑みを浮かべて会場を見渡した。尹さんは、「各地の同胞が注いでくれた思いやりは、これからも決して忘れない。茨城初中高で、勉学はもちろん朝青活動に一生懸命励み、将来、少しでも同胞社会の役に立てたら」と心情を語った。

 一方、茨城初中高・中級部を卒業した権秀貞さんは、高級部になり、同級生が2倍以上に増えたと喜んでいた。「震災で茨城県も大きな被害を受けたけれど、宮城県と福島県の被害がより深刻だと聞いている。両県から入学した同級生たちが、これまでどおりの学校生活を送れるよう、いっそう心を強く持って支えていきたい」と話した。

「元気が出た」

各地から祝電や応援メッセージが届いた

 入学式が行われた体育館の壁には、見覚えのあるスローガンが掲げられていた。

 「大地は揺れても、笑いながら行こう!」

 震災直後、甚大な被害を被り、先の暗い状況の中で、総連緊急対策委宮城県本部が、同胞社会復興のため掲げたものだ。

 同校の崔寅校長は、「被災地域に暮らす同胞の共通の思いが、この言葉に込められている」と話す。

 「東北地方の震災被害が一番大変な今、保護者たちは、私たちの学校を信じて、子どもたちを任せてくれた。同胞ネットワーク構築の拠点は、学校。茨城初中高が新たなスタートを切ることで、北関東・東北同胞社会の復興の先頭に立ち、被災同胞たちを元気づけていきたい」。

 近年、同校の入学式に300余人もの参加者が集ったのは、初めてのこと。また、震災後、東北・関東の被災同胞たちが、一堂に会したのも初めてだった。

 それぞれが、震災の被害により先の見えない不安な生活を送る中、学校の出発を見届けようと会場に駆けつけた。

 日立市に住む韓今淑さん(46)は、割れるような拍手の中で入場した児童、生徒らの姿を見ながら、静かな感動を噛みしめていた。すでに、自分の子どもは卒業したという韓さんだが、「ガソリン不足で、震災直後は、学校に駆けつけることが困難だった。避難生活を送る同胞、生徒たちのために何一つできなくて申し訳なく思い、今日の入学式に参加した」と話していた。

 韓さんは、「やっと正常な学校生活に向け、一歩を踏み出せた。本当によかった。子どもたちの元気な姿を見ると、勇気が沸いてくる。復興には時間がかかるかもしれないけれど、学校のためなら何でもするつもり」と語った。

 二人の息子が、初・中級部の新一年生となる尹志慶さん(39)は、震災で水戸市内を中心に経営していた9つの店舗中、6店舗が大きく破壊された。また、自宅にもひびが入ったという。

 尹さんは、入学式の様子を見ながら「余震や原発の問題が落ち着かず、大変な思いをしながらでも、今日、こうして同胞たちが顔を合わすことができた。みなが互いに力を分かち合えたと思う。復興に向けてがんばっていこうという元気が出た。子どもたちには、ウリハッキョの生徒らしい、のびのびとした学校生活を送ってほしい」と話した。

 「このような状況の中で、入学式が本当に行えるのか不安だったけれど、同胞たちと顔を合わせられてよかった。一人じゃない、みんなで乗り越えていくんだという安心感をもらった」と語ったのは、水戸駅周辺で飲食店を経営している張春模さん(36)だ。 張さんの飲食店は震災の影響により、玄関正面のガラスが割れ、食器も半分以上が破損。2週間近く営業を再開できない状態が続いたという。張さんは、今年、初級部に入学した娘の希珠さんの姿を見ながら、「震災後、この子を茨城県沿岸部に連れていき、壊滅的な被災地を見せた。ショックだったろうけど、人の痛みや悲しみを理解できる思いやりのある強い子に育ってくれるはず」と話した。

 東日本大震災後、同校は昼夜を問わず、幾度となく余震に襲われた。しかし、入学式が行われる間は、たった一度も起こらなかった。(文周未來、写真姜イルク)

[朝鮮新報 2011.4.18]