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東日本大震災 同胞愛、心に刻んで巣立つ

「彼女たちは人々に愛と勇気を与えられる存在」−金教員

「同胞はみな一つです!」−東北初中卒業生

卒業式(3月27日、東北初中、前列左から3番目が筆者)

 「私たち、性格が合わないんです」

 中1の頃、それぞれ思い思いの方向を見て時には衝突を繰り返した生徒たち。3年後、そんな生徒たちが固い絆を胸に東北初中を巣立ち、手を取り合って茨城朝鮮初中高級学校への扉を開いた。

 「自分の基準で他人を評価してはいけない。一番大切なのは、その人を理解することだよ」

 こう言い続けて来た3年間。生徒たちが人の痛みや喜びを自分のことのように感じ、思いやりにあふれた人になること。私は教員としてそれを願ってきた。

 もともとまっすぐで素直な生徒たちだった。教員からの問題提起をいつも真摯に受け止めてくれた。学級で起こる数々の問題にも真っ向から立ち向かい、それを解決しながら、同級生や周りの人々への理解を深めていった。

 中3になった彼女たちは、「絆、信頼」という学級スローガンと「お互いを心から思いやるセッピョル少年団」という少年団スローガンを掲げた。1年間活動し、そしてあの試練に直面した。

 苦しいときに、人の真価は問われる。私は生徒たちの成長を、彼女たちの嘘偽りのない気持ちを、悪夢のような大地震を契機に知ることとなった。

 あの日、パニックになりながらもいち早く外へ逃げ出した私たちを待ち受けていたのは、ドーンという音とともに再び大きく揺れだした大地だった。それは、まだ教室に残ったままの初級部生を逃がすまいと左右に激しく動いた。そして私たちは崩れていく校舎の姿を目の当たりにした。

 「早く降りてこい!」

 何度も叫ぶ男性教員の横で、泣きながら同じ言葉を叫んでいた中3の生徒たち。数十分にも思えたその瞬間。まだ余震が続くかもしれないのに彼女たちはなんのためらいもなく校舎へと走っていった。そして泣き叫ぶ初級部低学年の下級生たちを抱きかかえ安全な運動場へと避難したのだ。

 中3の生徒たちは、運動場に全員が整列して無事を確認した後も、「低学年の傍に行ってもいいですか?」と聞き、教員の返事も待たずにまた低学年を抱きしめに行った。上着を持たずに逃げ出してきた子どもたちに、自分が着ているカーディガンを着せてやり、オモニが迎えに来るまで一緒にいた。その姿を見たとき、私は、彼女たちの人間性の豊かな成長ぶりを確信した。

 震災によって延期された卒業式の日程が決まった日。朝大時代の恩師から電話があった。

 「欲しいものがあれば何でも言いなさい」と言われたので、「卒業公演の脚本を書いてください」と冗談でお願いすると、本当に一日で書き上げてくれた。

 タイトルは「私たちが送る支援物資!」。この脚本なら、全国各地からたくさんの物資と励ましを送ってくれた同胞たちに、私たちの感謝と喜びをきっと伝えられる。宮城の被災同胞の気持ちを代弁してくださった恩師の厚意に胸が熱くなった。

 しかし脚本を書いてくれた先生は、「生徒たちがこの台本の内容を受け入れられるだろうか」ということをとても気になさっていた。私も大人が作ったものを押し付けるのではないかという不安な気持ちがあった。

 生徒たちに台本を見せながら、これまでにどれほど多くの方々がこの地域を支えてくださったのかを、ウリハッキョの食堂に山のように積まれた救援物資や激励の手紙を見せながら話した。すると生徒らは「もともと卒業公演でやりたかった内容も、これだったんですよ!」「うん、私たちが準備した脚本読んだのかな? って思ったよね!」「私たちの気持ちそのままだから、すぐに覚えられますよ!」と、口々に言うのであった。

 こうして卒業式が、会うことのなかった同胞たちに向かって心からの感謝の気持ちを表す場となったのである。

 私は思う。

 ウリハッキョで学ぶ彼女たちの前にはいつも難題が立ちはだかった。卒業を目前にして震災を体験した。それでも、彼女たちは人々に愛と勇気を与えられる存在として長く記憶されることだろう。

 彼女たちがこの学校で育んだことは、今後、同胞社会の絆となり、思いやりとなって花開くはずだ。

 「同胞はみな一つです!」

 今年の東北初中卒業生たちは、最後の舞台で力強く訴えた。(東北初中教員 金順実)

[朝鮮新報 2011.4.6]