東北初中卒業式で見たもの 震災乗り越える涙と笑顔 |
大震災の爪あとが色濃く残る東北朝鮮初中級学校の卒業式(3月27日)には、しかし、例年以上の温かさと力強さが詰まっていた。 今回の卒業式は、大震災後、初めて保護者や同胞たちが一堂に会する場ともなった。会場となった同校の食堂には、東北地方各県から来た同胞、また救援物資を届けるために駆けつけた関東の同胞たちの姿もあった。いつもの2倍の人たちが集まったという。 それだけではない。卒業生や被災同胞たちを勇気づけようと送られてきた数多くの祝電やメッセージが壁一面に張り巡らされていた。文字通り、日本各地の同胞たちに見守られながらの卒業式となった。
練習期間は2日
震災発生後、未曾有の被害が明らかになる中でも、総連緊急対策委員会宮城県本部では「大地は揺れても笑っていこう!」というスローガンを掲げた。 この日、卒業生たちが見せた笑顔は、その言葉の意味を如実に物語っていた。中級部卒業生たちの公演「私たちが送る支援物資!」に、会場は涙した。 「日本各地の同胞のみなさん、私たちは生きています!」 「あるものよりないものが多い日々ですが、涙よりも笑いあふれる生活を送っています」
震災後、日本各地の同胞から連日のように届けられる救援物資とメッセージ。この間、生徒たちは同胞社会の絆を全身で感じたという。 「私たちの夢は、弟、妹たちが心置きなく勉強できる校舎を建て、ウリハッキョで、私たちの子どもたちが何不自由なく学ぶ姿を見ることです」 中3の生徒たちは同胞たちが一つになれば、どれだけ大きな力になるかを実感したと語りながら、これからは自分たちが「救援物資」になって、元気あふれる宮城同胞社会を築いていくことを誓った。 震災後、学校の機能は停止した。その中でも同校教員ら、同胞たちのがんばりで、この日の卒業式が実現した。卒業生たちは3月23日に卒業公演の台本を受け取り、25日の初練習までに、すべてのセリフを覚えたという。本番までの練習期間は2日だったが、「最高の公演だった」と参加者らは口をそろえた。
黒板のメッセージ
卒業式では、在校生の保護者を代表して任寧淑さん(42)が、中3の生徒たちに感謝の気持ちを伝えた。 任さんの娘・金怜華さんはたった一人の中級部2年生。怜華さんが中級部に入学したのは09年4月。中級部でただ1人の入学生である娘の姿に、母親の胸は張り裂けんばかりだった。 「娘がどんな教室で学ぶのか」。入学式後、重い足取りで向かった教室で、任さんは言葉を失った。 「怜華を、私たちが全力で守る」 当時2年生だった今年の卒業生たちからの、黒板一面に書かれた娘への温かいメッセージ。任さんは「この先輩たちがいれば大丈夫だ」と、強く感じた。先輩たちはこの2年間、そのメッセージ通りに娘を慈しんでくれた。 任さんは、卒業の日にも、娘を思いやる言葉をかけてくれた彼女たちが本当に頼もしく映ったという。「怜華が、彼女たちの温かい気持ち、強い意志を受け継いでくれるはず」。 怜華さん自身、卒業生たちへの思いは誰よりも強い。卒業式で在校生を代表して卒業生に送るメッセージを読んだが、あふれる涙で何度も言葉を詰まらせた。 東北初中に「普通の学校生活」を取り戻すことは、そうたやすいことではないかもしれない。それでも先輩たちから受け継いだ気持ちがあれば大丈夫だと、信じている。「余震にもめげずに、ウリハッキョを守るために、しっかりと学び続けたい」。(李東浩) [朝鮮新報 2011.4.1] |