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朝高生活最後の1年間に培ったもの 「高校無償化」運動の過程で

「後輩たちには高校生らしい生活を」

 今月5〜6日、各地の朝鮮高級学校3年生たちは、なじみ深い母校の門をくぐった。民族教育と恩師、家族への感謝、新生活への希望を胸に、それぞれ新しい道へと第一歩を踏み出した。しかし、彼らの門出は、ただ晴れ晴れしいものではなかった。「高校無償化」制度が適用されないままの卒業となったからだ−。

権利獲得のために

大規模のデモに積極的に参加してきた朝高生たち

 東京朝鮮中高級学校を卒業(6日)した呉香仙さんと文洸哲さん。少し緊張した面持ちながらも、誇らしい表情で式に参加していた。式では、例年とは違い、卒業生代表が菅直人首相に「無償化」制度の適用を訴える卒業生一同の要請文を読み上げた。代表が権利を勝ち取るその日まで決して諦めないと述べると、彼らも気持ちを同じくするように、凛々しい表情で前を見つめていた。

 彼らの朝高生活最後の1年間は、「無償化」の権利獲得のためにたたかった1年だったと言っても過言ではない。高2の終わりからスタートし、授業や部活の時間を割き、休日を返上し、1年以上もの間、権利獲得のために時間を費やしてきた。「高校生」という限られた時間、友人たちと笑い語らい、大人のステップを登っていく最も重要な時間を、「与えられて然るべき権利」獲得のために奪われてきたのである。

 クラスで副班長を務めていた呉さんは、この間、とりわけ署名活動に力を注いできた。クラスメートたちと共に、学校で提起された時間外にも最寄りの十条駅頭に立ち、部活後の午後8〜9時まで活動に励んだこともしばしば。

昨年3月、国会議員らが学校を訪れ、授業を参観した

 通行人の中には、良心的な日本市民が多く、やりがいを感じる反面、心ない人たちの言動に傷ついて、悔しい思いを抱いて家路に着いたことも一度や二度ではない。それでもまた、翌日から元気を出して、めげずに声を挙げてきた。また、近所の日本人や日本人が通うハングル教室、日本学校生徒との交流の場などでも「無償化」問題を訴えてきたという。

 文さんもまた、居住地域である朝青埼玉・中部支部の朝青員たちと一緒に、大宮駅周辺でビラ配りや署名活動などに参加してきた。署名には、同年代の生徒たちがたくさん呼応してくれたという。そういった数多くの日本市民たちが声援を送ってくれる姿に、「僕たちのたたかいは正当である」という実感を深めていった。

 「他校の朝高生たちとは、(『無償化』運動において)いい意味でライバルだった」と話す文さん。在学中は、吹奏楽部に所属しており、昨年11月、在日本朝鮮学生中央芸術コンクールの会場(東京)で、他校の朝高生たちと交わる機会があった。そんな時でも、彼らの間では「無償化」の話題が持ち上がったという。「自分たちだけではなく、各地の朝高生たちが懸命に活動していると思うと、自然と力が沸いてきた。僕たちが声を挙げ、世論を喚起しなければならないと強く思った」と、ますます活動に励んできた。

「自分の問題」として

さまざまな集会で積極的に発言する朝高生たち

 この間、日本各地の朝高生たちが、それぞれ運動を展開してきた。朝鮮学校除外のまま「無償化」制度が実施された4月、「私たちの力で権利を勝ち取ろう」と、直ちに「高等学校無償化の適用を求める全国朝鮮高級学校学生連絡会」を結成した。ピンチをチャンスに、各地の朝高生たちが一つに団結し、互いの状況を把握しながら、民族教育の姿を伝え、広める活動に励んできた。

 「こんなに長期化するとは思わなかった。日本政府の言動は矛盾だらけだ」(文さん)

 新聞各紙が朝鮮学校除外に異を唱える社説を幾度となく出すほどのあからさまな民族差別、人権じゅう躙はすぐに是正され、朝鮮学校にも「無償化」制度が適用されると思われた。ところが、日本政府は理不尽な言い訳を繰り返し、除外措置を続けた。

 呉さんは、「今までいろんな差別を耳にしてきたが、直接、差別を感じたことがなかった」という。たたかいが始まった頃、朝高生たちは差別を受けている当事者としての認識があまり深くなかった。街頭に繰り出し、通行人に向かって朝鮮学校除外の不当性をアピールしても、当事者としての実感がなかなか沸かなかったという。

6日、東京朝高を卒業した生徒たち

 しかし、その間にも、日本政府は主張を二転三転させ、ことを先延ばしにしてきた。そして、集会やデモに何度も参加するようになった。オモニたちが怒りをあらわにし、日本市民たちに声援を送られ、「この問題は、日本人の問題だ」と声を挙げる人々の姿を目の当たりにした。

 その過程で、「自分の存在を否定されているようだ」「同じ高校生なのにどうして」と、あらためて自己の存在について考えるようになり、「無償化」問題を、「自分の問題」として捉えるようになっていった。

 各種集会などで発言する生徒の様子も変化していった。当初は、生徒たちの発言内容も教員が手直ししていた。それでも、たどたどしい部分があった。ところが、生徒自身が問題認識を深めていくにつれ、心の底から沸き出てくる等身大の思いをありのままにつづるようになった。朝高生たちのアピールは、聴衆の心を大きく響かせた。

幾度となく街頭に立ち、声を挙げてきた

 文さんも、「朝鮮学校に対する不当な差別を、みんなが自分の問題としてしっかりと捉えている」と友人たちの様子を語る。2月に参院議員会館で行われた院内集会には、休校期間にも関わらず、多くの生徒たちが足を運んだという。

 卒業式を1週間後に控えた集会(2月28日、東京・代々木公園)にも、関東の朝高3年生らの姿があった。日本の若者たちでにぎわう渋谷の街を、シュプレヒコールを挙げながら、練り歩く彼らの姿は、たくましくもあり、心苦しくもあった。卒業式を目前にした朝高3年生たちは、「後輩たちに、この問題を残していくのが心苦しい」と口々に話し、「後輩たちには、今年と同じような経験をさせたくない。一日も早く『無償化』制度が適用され、高校生らしい生活を送ってほしい」と切に願っていた。

夢と希望を胸に

昨年7月、各地の朝高生代表らが、11万余人の署名を手に文科省を訪れた

 幾度となく活動に励んできた呉さんと文さんも、4月には朝鮮大学校へと進学する。夢と希望を胸に、新たな生活がスタートする。

 12年間、民族教育を受けてきた文さんは、在日同胞社会における民族教育の重要性をあらためて感じている。4月からは朝鮮学校の教員になることを目指し、教育学部(4年制)に進む。彼は、1、2世が築き守ってきたものを、次世代がしっかりと継いで守っていくためにも、民族教育は要であると語る。

 呉さんは、「ウリハッキョを守りたい」という思いが強いという。その思いは、この1年の間にさらに確固たるものとなっていった。そのためにも、「権利獲得などのたたかいや運動では先頭に立って旗を振れるよう、同胞社会で中心的な役割を果たせるよう切磋琢磨していく」と意気を上げている。

 そんな呉さんには進路選択のうえで変化があった。先日、英検準1級に合格した彼女は、高3の初期までは語学を活かした仕事をしようと、朝鮮大学校外国語学部への進学を考えていた。しかし、「無償化」運動の過程で、彼女の意識は変わっていった。たとえば、ビラ配りをしながら、通行人から質問を受けても、理論的にきちんと説明できなかった自分にもどかしさを覚えた。また、差別がまん延している日本社会で生きていくうえで、その構造を変えるためにも自分たちがたたかわなければならないと思うようになった。

 彼女は、希望学部を変更し、政治経済学部の法律科へ進むことにした。「英語は手段として駆使し、法律家になって同胞社会に貢献したい」と志高く前を見つめている。(姜裕香)

[朝鮮新報 2011.3.9]