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東京第2初級 新しい「船出」 旧校舎お別れイベント

旧校舎にこれまでの感謝を告げ、新校舎建設とともに新たな「船出」を切った東京第2初級

 新校舎建設を進めてきた東京朝鮮第2初級学校では、新学期から新校舎で授業が行われている。一方で、まもなく旧校舎の取り壊し作業も始まる。46年という長い歳月に幕を閉じた旧校舎の解体を惜しむ声は少なくない。

 同校では、旧校舎にこれまでの感謝の気持ちと別れを告げるため、昨年12月26日〜29日にアートイベント「ありがとう! ウリハッキョ 〜YAKINIKU アーティスト・アクション in 枝川」(主催=同実行委員会)が企画され、多くの同胞、日本人、南のアーティストが参加した。

 また、これに先立つ12月22日には、生徒らの「お別れイベント」も行われた。参加者らは、思い出の詰まった旧校舎を懐かしみながら、新たなスタートを切った。

ウリハッキョを拠点に

 地域同胞、学校関係者は新校舎建設の目標について「同胞と地域の日本市民、そして関心を寄せてくれるすべての人々に支持される学校にしたい」と話す。

 昨年12月29日、行事の最終日に旧校舎講堂で行われた焼肉パーティーの会場には、そうした「未来のウリハッキョ」像を垣間見せる光景が広がっていた。

新校舎建設の喜びに沸く同胞、関係者と支援者たち

 旧校舎で行われる最後のイベントには、地域同胞と学校関係者、卒業生、日本市民たちと南朝鮮の人々ら約220人が参加。会場は終始笑い声に包まれ、新校舎建設の喜びに満ちていた。

 女性同盟中央江東支部の金敬蘭顧問(78)は、講堂の舞台で学校関係者と支援者が肩を組みながら歌「これが、ウリハッキョだ(焼戚級焼 戚依戚 酔軒俳嘘陥)を歌う姿を見ながら目頭を押さえた。

 「こんな風に、同胞や日本、南朝鮮の人々が、朝鮮学校に集まり、ともに学校の問題について考える日が来るとは夢にも思わなかった。新校舎が建設された後も、団結した力で代を次いで民族教育を守っていけると確信を得た」

 新校舎建設は、同胞のみならず日本の支援団体である「枝川朝鮮学校支援都民基金」をはじめとする市民らの積極的な支援も受けている。また、そうした過程で、学校と支援者らの連帯は着実に強くなっていったという。

 学校創立から65年、旧校舎建設から46年。祖国と同胞の温情によって守られ発展してきた同校は、今日、地域同胞と日本市民らの支持を受け、南朝鮮の人々らを含めた幅広い人々が集う拠点となっている。

 イベントをきっかけに初めて同校を訪れたアーティストの田中大介さん(31)は、「教育施設とは思えないほど、地域に開放された学校だ。作品制作にあたり、同校の歴史や『枝川裁判』の問題について知った。今後も、学校に関わりながら支援活動に携わっていきたい」と話した。

アートイベント

 連日多くの観覧者でにぎわったアートイベント「YAKINIKU アーティストアクション in 枝川」には、4日間で延べ385人が訪れた。

 同イベントは、46年間、この地で児童らの成長を見守ってきた旧校舎が取り壊される前に「意義ある何かをしよう」と企画されたもの。

 事務局の崔誠圭さん(42)は、「『学校』という場を、言葉や文章ではなくアートを通じて感じてほしかった。一人でも多くの人が朝鮮学校に関心を持つ機会になれば」と話す。

 イベントでは、学校のいたる所に美術、音楽、映像、写真など各分野で活躍する60人以上のアーティストたちの作品が披露された。アーティストらは作品創作にあたり、約2カ月前から学校を訪れ、民族教育や在日朝鮮人社会の歴史、「枝川裁判」問題などの説明を受け、学校関係者や児童らと幾度となく話し、交流を深めた。子どもたちの生き生きとした様子を収めた写真など「アーティストの目から見た朝鮮学校」は同胞からも好評だった。

 熊谷泰世さん(58)は「平和と共生を祈念する多くの作品を見ながら、在日朝鮮人の歩んできた歴史についていっそう考えを深めた。1世、2世が作り育んだこの朝鮮学校を今後も応援していきたい」と話した。

児童らも「お別れ」

 12月22日には、「旧校舎お別れ会」が行われ、同校児童と教員、オモニ会メンバーと、関係者らが参加した。2学期終業式のこの日は、児童らが慣れ親しんだ旧校舎で過ごす最後の日となった。児童らは、旧校舎に別れを告げるべく、船型の「コッスレ(寡呪傾拷ヤ車)」を引いて学校の周辺区域を一周したほか、旧校舎の壁や黒板、窓などに感謝を込めたメッセージや名前などを「らくがき」した。

 「コッスレ」は、アーティストの辻耕さんが、約1週間、学校に通いながら制作したもの。まもなく、旧校舎から新校舎に移る子どもたちとともに、「これまで学校を守ってきた神様もお引っ越し」という意味を込め、「コッスレ」には、全校生徒が図工の時間に作ったさまざまな形の「神様」が乗せられた。

 辻さんは、「『コッスレ』の土台を船型にしたのは、かつて在日朝鮮人が船で日本に渡ってきたという歴史を表現したかったから。一方で、今後の東京第2の新たな出発、船出という思いを込め船の形にこだわった」と話した。

 児童らは、オモニ会が準備した給食やビンゴゲームを楽しみ、旧校舎での最後のひとときを終始笑顔で過ごした。(文・周未來、写真・琴順)

[朝鮮新報 2011.1.17]