〈続 おぎオンマの子育て日記-G-〉 先生の思い出 |
家を一歩出ると、十軒の家に囲まれた急坂の袋小路である。足こぎの小さな車を持って20メートル程のその坂を駆け上がって車にまたがり、猛スピードで滑り降りることが、幼い頃サンホのお気に入りの遊びだった。真冬でも汗だくになるまで、繰り返し繰り返し急坂を駆け上がった。近所の人たちも一様に証言しているが、この坂道で日常を過ごしている子どもたちは足が速い。近所の子どもたちの陸上部入部率も異様に高い。わが家では、サンホが中長距離で坂道っ子の威力を遺憾なく発揮している。 先日、隣県の村役場主催のマラソン大会で3キロを走り、5年生男子部門で4位に入賞した。「足が速い奴はアホみたいや」という、よくわからない慰めを父に言わしめるほど鈍足の私にすれば、驚くべき成績だ。しかし、サンホは悔しくてしばらく口がきけない程だった。沈黙の後「2年生の時、マラソンで初めてファンサに負けた時に洪錦純先生が『サンホ、本当にいい経験したね』って言ってくれてん。今日もいい経験やんな」とアッパに話したそうだ。 定年間際だった洪錦純先生は、2年前の学芸会のリハーサル中に、くも膜下出血で倒れ、そのまま意識の回復を見られないまま旅立たれた。うちの子どもたちはつい最近まで、いつもより濃いめの化粧をされた棺の中のソンセンニムの顔しか思い出せなかった。それが、やっと生前の元気な姿を思い出せるようになった。遠足で動物園に行った時、子どもたちは歯をむき出してオランウータンを挑発していた。そこへ「さあ、みんな集まりなさい!」と洪錦純先生が現れた。ちょうど堪忍袋の緒が切れたオランウータンが、ぺっと吐いた粘着質の唾が先生の顔に張り付いたそうだ。先生のあわてぶりとみんなの笑い声をミリョンが何度も何度も話してくれる。スクールバスが早朝の靄の中、坂道を上がってくる。先生がまだ子どものほとんど乗っていないバスで、文庫本に没頭している横顔を、私は今でも思い出す。(李明玉) [朝鮮新報 2011.1.14] |