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震災直後の福岡

 未曾有の大震災が東北地方を襲い、家屋は崩れ落ち、想定外の津波に根こそぎ飲み込まれた街の姿に、言葉を失った。

 震災の翌日、朝から福岡出張を控えていたのだが、震災の晩、電車が止まり家に帰ったのは明朝4時ごろ。なんとか家にたどり着き割れた食器を片づけ、原発事故や余震が続く生活におびえる家族や同僚、知人を残し、13日の夕方、新幹線で現地入りした。

 「安全地帯」だった福岡でも、きらびやかな中洲の町、九州新幹線が開通しお祭り騒ぎになるはずだった博多駅、大きな看板や店の照明は暗く落とされ、自粛ムードに包まれていた。

 取材先で会う同胞たちは皆、被災した多くの人々の生活苦に心を痛めていた。

 しかし、「自分たちが落ち込んでいては何も始まらない」と、福岡朝鮮歌舞団は、震災翌日とその一週間後に控えていた公演を急遽、チャリティー公演に変更した。

 阪神大震災を経験したある団員は、今回の震災によってその恐怖がフラッシュバックし、精神的に不安定になってしまったという。それでも肩を震わせあふれる涙をぬぐいながら、舞台上でその経験を語り、共に乗り越えていこうと訴えた。

 千人を超える観客の心を一つにした彼女たちの思いは、力強い歌声となって会場に響き渡っていた。

 震災から2カ月余。未だに困難な生活を強いられ、将来に不安を抱える人々は数多い。そんな人々に日本各地からの温かい声を届けられるよう、記者としていっそう奮闘していきたい。(梨)

[朝鮮新報 2011.5.16]