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被災地で踏み出した社会人生活の第一歩

東北同胞社会 盛り上げる存在に

 東日本大震災から約2カ月が過ぎた。被災地の東北地域では同胞たちが復興に向けて力強く前進している。そんな中、今春、朝鮮大学校を卒業し、社会人生活をスタートさせた青年たちがいる。彼らは、震災や津波で家屋が流されたり、大切な家族を失った同胞たちと苦楽を共にする日々を送っている。彼らはいま、何を思い活動しているのか。日常を追った。

体で学ぶ、「同胞とともに」 李昌大さん(22) 朝青宮城県本部(兼朝青東北地方委員会) 専従活動家

 今春、朝大・政治経済学部を卒業。北海道にある自宅を離れ、当初の予定より約3週間遅れて宮城入りした。朝青宮城県本部の活動家になり1カ月以上が経った。

 この間、救援物資の仕分けや同胞宅の訪問、炊き出しなどで毎日がせわしなく過ぎていき、「息をつく間もなかった」と振り返る。宮城の同胞たちへ正式に自己紹介する場所も時間もなかった。「ただ目の前の仕事を黙々とこなすことだけに力を傾けた。勝手がわからず、最初はおどおどしたけれど、できることは何でもするという心構えで精いっぱい取り組んだ」。

 一方で、「つらいことといえば、与えられた仕事しかできないこと。先輩たちのように自ら仕事を探し出し、たくさんの仕事をこなせない。この現場に自分が来てよかったのかと不安になることもしばしばあった」と話す。

 そんな李さんを支えたのは、地元の朝青員や同胞たちだったという。「これまで休みはほとんどなく働きづめだったけれど、充実していた。こんな状況にあっても、地元の同胞や先輩の活動家が食事の心配をしてくれたり、自宅の風呂にもいれてくれた。思いきり働けたのは、自分を気にかけてくれた先輩朝青員や同胞たちのおかげ」。

 被災地で活動家としての第一歩を踏み出した李さん。「仕事は大変だけれど、こうした現場を経験できて活動家として得たものは計りしれない」と話す。この間、日本各地から送られてくる救援物資を見て同胞社会のつながり、温かさを実体験として感じることができた。また、同胞のために奔走する先輩たちの姿を見ながら「活動家とはどうあるべきか」を自分なりに捉え、考える大きなきっかけになった。

 「行動を共にしていた朝青委員長は、同胞のために文字通り不眠不休で駆け回っていた。自分のことは後回しにして、常に同胞のことを考え、同胞に寄り添っていた。理屈じゃなく、それが活動家として本来あるべき姿ではないかと感じた」

 宮城同胞社会の復興のために、いま何をすべきか。李さんは、同胞過疎地域と言われる東北地方で、震災の救援活動を通じ広がった同胞同士のつながりを何より大切にしていきたいという。そして、一日も早く正常な朝青活動を再開し、地元の若者たちを一つにつなぐ土台を作りたいと話す。(周)

パワーを結集する要に 朴寿福さん(22) 朝青福島・中通支部 専従活動家

 今年4月から朝青福島・中通支部で活動している朴寿福さん。福島朝鮮初中級学校、東北朝鮮初中高級学校(当時)、朝大・政治経済学部におよぶ16年間の学生時代を寄宿舎で過ごした。

 そんな朴さんの息抜きの場所は、休日になるといつも訪れていた福島初中のグラウンドだった。幼なじみの友人たちとサッカーに興じることが一番の喜びだったと振り返る。先生も親身になって朴さんたちを指導してくれた。母子家庭で育った朴さんにとって福島のウリハッキョは、オモニの愛情とともにかけがえのない心のよりどころであった。

 中級部を卒業して以来、7年ぶりに地元・福島の朝青専従活動家として戻った母校は、福島第1原発の事故による放射能汚染の脅威に晒されていた。赴任以来、「活動家1年目の不安と重圧」があったという朴さんだが、何よりも恐れたのは「自分を育ててくれた母校と福島の同胞社会がなくなってしまうこと」だと話す。

 「総連の活動が止まってしまえば、被災した同胞社会の復興はない。自分たちの地域コミュニティーが崩れ去ってしまう」。そう考えた朴さんは、同胞たちが抱く生活上の不安を払拭するためにも、まず自らが強い精神力を持ってがんばっていこうと心に決めた。

 朴さんは、総連の活動家になるという決心をしたときから「福島同胞社会の未来」について、自分なりのビジョンを思い描いてきたという。朝青活動を通して若者のパワーを結集し、現状を変えていくというものだ。

 これまで専従活動家として地元の卒業式や入学式、同胞行事などに参加してきた。そこで感じたことは、「若い世代が少ない」ということ。震災後、総連支部の一員として同胞救援活動を行ってきたが、朝青独自の活動は展開できないでいた。

 「若い世代の横のつながりをもっと広げなければ。自分が要となって福島の朝青を盛り上げていきたい」

 先週、朴さんは大阪で行われた新任専従活動家たちの講習会に参加した。講習会の場は、朝大で共に学び日本各地で新社会人としてのスタートを切った親友たちとの同窓会にもなった。

 互いに活動する現場は違っても、志を同じくする同期生のやる気に満ちた姿に勇気をもらったという朴さんは、いま福島の実情に即した朝青の活動計画を構想中だ。(炯)

生徒の笑顔に励まされ 任浩源さん(22) 福島朝鮮初中級学校 教員

 震災から約3週間後の4月2日、地元の神奈川を離れ、福島朝鮮初中級学校に赴任した。朝鮮学校の教員になることは、朝大・文学歴史学部に在学中からの夢。現在は、教壇に立ち、子どもたちと真剣に向き合う日々が続いている。

 震災から2カ月が経ったいま、学校は一見すると通常通り運営されているようだ。しかし、「学校生活の至るところに災害の爪跡が残っている」という。

 教職員たちは福島第1原発の事故による放射能漏れの影響に常に関心を払っている。学校施設の放射線量の測定は彼らの日課だ。いまのところ、高い数値の放射線は観測されていないが、子どもたちの安全を第一に考え、運動場はいっさいの使用を禁止し、部活や体育の授業はすべて体育館で行われている。また原発事故の影響を懸念し、新学年度が始まる前に他地方へ避難した生徒も少なくない。

 「4月になり学校が始まっても、運動場では遊べなかったり、震災前まで一緒に勉強していた同級生の姿がない。表面上には表れていなくても、子どもたちはストレスを抱えているはず」と顔をくもらす任教員。

 新米教員としての日々は緊張の連続だ。しかし、「経済的にも環境的にも大変な状況下で、子どもたちに民族教育を受けさせようとウリハッキョに送り続ける保護者たち、そして毎日元気に通う子どもたちの姿に何よりも驚き、また、教員として背中を押されている」という。

どんなに忙しくても、子どもたちの話に耳を傾けることを一番に気にかけているという任教員

 現在、初級部4年生の担任を務めるかたわら、サッカー部の指導にもあたっている。週22時間の授業を行うために、毎日夜遅くまで教案を作成しては再構成する日々だ。「学生時代に想像していた以上の忙しさ」だという。

 「嫌なこと、大変なこと、不安なことはもちろんあるけれど、それ以上に、こうした状況にあってもなお素直で明るい子どもたちの笑顔に励まされている」という。

 「今後、福島の状況がどうなるか見通しが立たないが、それでもやらなければならないことがある。いま、自分が新任教師として肝に銘じていることは、ウリハッキョで学ぶ子どもたちと共に成長し、保護者の期待と信頼に必ず応えるということ。生徒たちを立派な朝鮮人として育てられるよう、日々努力していきたい」と目を輝かせた。(來)

[朝鮮新報 2011.5.11]