宮城朝青員たちの座談会 被災地で見つけた「心の基軸」 |
「ここでの経験を生涯忘れることなく、宮城同胞社会復興の主人公として自分の責任を果たす」−座談会参加者一同 同胞と共に生きぬく 李成基 /がむしゃら、でも充実化 呉和人/ウリハッキョは一体感の源 崔純彰/人間関係が深まった 韓昇弼/なぜ団結力が強いのか 盧潤植 総連緊急対策委宮城県本部の活動には多くの朝青員たちが参加している。震災直後から対策委が置かれた東北朝鮮初中級学校に一人、また一人と集まった。対策委が主催した沿岸地域での炊き出し(3月24日)を終えたあと、5人の朝青員たちに同胞救援と復興活動にかける思いを語ってもらった。
−対策委のメンバーとして活動する現在の心境は。
李成基(以下、李) 正直、震災直後は同胞救援活動が長期化するだろうという展望などなかった。無我夢中で被災地を走り回り、想像以上の甚大な被害を受けたということがわかった。その後、各地の同胞から物資が送られてきた。 被災同胞に一刻も早く届けなければならない、自分たちよりも大変な人たちがいるんだという感情が沸き起こった。宮城の同胞と共に一丸となって今を必死に生きぬかなければ―そういう意識が自然と芽生えた。 呉和人(以下、呉) 震災が起きたとき、仕事で気仙沼市にいた。テレビも壊れ、あらゆる情報が遮断され、何が起こっているかもわからない状態だった。生きていて良かったと安堵すると同時に、まずは学校にいこうと思い立ち、東北初中がある仙台市に向かった。 普段から自分をサポートしてくれている宮城の朝青員や同胞が必ず学校にいると思ったからだ。そして自分も何かしなければならないと考え、対策委と共に行動することにした。震災直後に学校へ向かっていなければ、おそらく自分一人で食事もままならなかったと思う。いま、ものすごく同胞の温もりを感じている。 盧潤植(以下、盧) 同胞の団結力はなぜこんなにも強いのかを考えさせられる日々だ。各地から救援物資が続々と到着する光景を目撃し、対策委メンバーと今後の活動について話し合う過程で自分なりの答えを模索しようと思った。一方で朝鮮学校の教員として、普段から同胞の中に入り、彼らと深く付き合ってきただろうかと自問自答するようになった。 韓昇弼(以下、韓) 12年間通った母校、仙台のウリハッキョ校舎が震災によって傾いたのを見て涙が出た。沿岸地域に住む被災同胞のことを考えると、日本の行政に任せるだけではなく、同胞たちによる自主的な活動が必要だと考え、対策委の活動に参加するようになった。この間、風呂にも入れず、食事もままならない状況でがむしゃらにやってきたが、充実感がある。 崔純彰(以下、崔) 対策委のメンバーとして活動しながら、今のような非常時には若い世代が役割を果たさなければならないと確信するようになった。頑丈な柱がなければ建物は崩れる。朝青員たちが被災地の同胞社会を支える柱にならなければという使命感に燃えた。 −対策委の活動に情熱を注ぐ仲間たちを見て感じることは。 崔 ここには北海道から九州出身までいろんな人がいる。出身地は違ってもみんな在日同胞だ。朝青員を見ても、東北初中の卒業生だけではない。それでも日本各地のウリハッキョで学んだという共通点があり、それが一体感の源になっている。 韓 ウリハッキョで学び、たくさんの経験をした。みんなの中に同胞社会のために生きるという潜在意識があって、震災をきっかけにそれが行動として現れたのではないだろうか。そして同じ屋根の下で生活し、同じ釜の飯を食べることで、一体感が生まれた。この経験を無駄にしてはならないと思う。 呉 自分を助けてくれた人たちのために行動するのは当然だ。同胞に限らず、被災した日本人のためにも貢献したい。在日朝鮮人としてだけではなく、人間として「いま、あるべき姿」を考えるようになった。 盧 震災直後に生徒が「試験はどうするんですか?」と聞いてきた。地震の揺れは収まっても、それによって子どもたちの学校生活が奪われるかもしれないという危機感を抱くようになった。いまは生徒たちの学校生活を一日も早く取り戻さなければならないという一心だ。 李 ここでの活動は肉体的、精神的に大変だが、それが苦にならないのは、どこかに「同胞たちのために」という意識があるからだ。大量の救援物資を見ながら、「同胞社会の中で生きてきた自分」を新たに発見することができた。感謝している。 −今後の活動は。 盧 普段よりも密に朝青員たちと過ごす過程で、朝青宮城にとてつもない魅力を感じるようになった。教員として、彼らと共にがんばっていくことで、明るい同胞社会を築いていけると確信するようになった。今月中旬に東北初中の入学式が予定されている。対策委のメンバーとして活動しながら感じたことや経験したことを生かし、生徒たちと向き合っていきたい。 韓 東北地域の他県に比べて宮城県は同胞数が多い。その一方で身近な人としか付き合わないという傾向があったかもしれない。しかし、今回、被災地に生きる同胞として多くの人たちと共に行動することで、また新しく知り合った人たちとの関係が深まっている。この経験を今後に生かさなければならないと思っている。 呉 現在の経験は将来、必ず役に立つと思う。助けてくれた同胞、一緒に生活した友人、そして先輩や後輩たちのことは生涯、忘れない。 李 震災直後、同窓生や朝青員たちの安否を真っ先に確認した。そのとき、普段からの付き合いが薄い人たちとは連絡がなかなかとれなかった。日常生活の中での人間関係が、非常時に威力を発揮するのは確かだ。 崔 ここにいる朝青員たちは生死の境目を目撃し、文字通り「人間くさい」環境の中で集団生活をしている。とても濃密な「同志的関係」が自然とつくられた。仲間が一生懸命だから、自分も役割を果たそうとする。同胞のために働く対策委には、そんな相乗効果がある。 −宮城同胞社会の未来は。 崔 やはりウリハッキョが大事。同胞社会の拠点だ。責任を持ってしっかりと復興させる。そしてわたしたちが自分の子どもをウリハッキョに入れる。そういうプロセスがあって、同胞社会の過去、現在、未来がつながっていくと思う。 呉 そのためには同胞たちと力を合わせていかなければならない。もちろん行政に要求すべきものもあるが、日本人の支援だけを期待するわけにもいかない。学校を建て直すにもお金が必要になってくる。自分も経済的な側面から同胞社会で役割を果たせるよう努力したい。 韓 私たちには総連という組織がある。救援活動を続けると当然、疲れてくる。ところが活動する同胞組織の中に身を置くと、それを打ち消すようなやりがいを感じさせてくれる。今回、それを経験した。被災地で「心の基軸」を見つけた。そういう朝青員がいることが、宮城同胞社会の10年後、20年後につながる。 李 いま、ウリハッキョや組織について真剣に考えながら、20代のネットワークがガッチリ固まっている。この絆をさらに強め、次の世代が受け継ぐようにすることがポイントだ。 盧 みんなが言っていることは、ほんとうにその通りだと思う。教員として自分にできることは、いま対策委のメンバーとして頑張っている朝青員たちのように、「ウリハッキョが好きだ」という生徒をたくさん育てることだ。 一同 いつか、それぞれ違う道を歩むことになっても、ここでの経験を生涯忘れることなく、宮城同胞社会復興の主人公として自分の責任を果たしていこう。(まとめ=李東浩) ■参加者■
李成基さん(26、東北初中出身、朝大研究院、東北大学大学院) [朝鮮新報 2011.4.6] |