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東日本大震災 救援隊を送った京都府青商会

支援も活動もパワフルに

 京都府青商会の救援隊が総連京都府本部の救援隊とともに3月27〜29日の日程で福島と宮城の朝鮮学校、被災同胞宅を訪れ、多くの救援物資を届けた。

 用意された4トントラックとマイクロバスには、水1700リットル、カセットコンロ60台、ガスボンベ2千本を含む食料、医薬品などが積み込まれていた。とくに、「暖を取りたい」「燃料が必要」という被災地の要望に応えるため、専門業者の協力を得て軽油と灯油3500リットルずつを一緒に届けた。

■持ち寄られた熱意

軽油、灯油の分配作業

 救援物資と資金は、府下の青商会役員、会員をはじめとする多くの同胞青年らの熱意によって、呼びかけた瞬間からすぐに集まった。震災後、手に入れることが困難な一斗缶やポリ容器、水、カセットコンロとガスボンベなどが続々と持ち寄られた。普段はあまり青商会のイベントや会合に顔を出さないという同胞青年が、灯油を移し替えるための一斗缶を探し回って何個も集め、関係者を驚かせた。

 引っ越しシーズンということもあり、4トントラックの確保が難しかった。前期の府副会長、朴昌樹さんが人脈をたどって何とか確保。「できない場合は自分が責任を持って物資を届ける」との覚悟を示していたという。隊員らが乗り込んだミニバンは、金成奎・成鉉兄弟(伏見)が提供した。

 7人の歴代府青商会会長らは、救援隊のために義援金とは別途に資金を提供した。李憲福直前会長は、最初に物資を届けただけでなく、積み込み作業まで手伝った。

 救援隊には10人以上が志願した。全員が非専従。仕事を休んででも被災地に向かう覚悟だった。4トントラックはロングサイズのため、熟練者でないと扱いが難しい。それを金秀則さん(左京)が率先して引き受け、往復区間すべてを一人で運転した。

宮城での荷下ろし作業

 救援隊の隊長を務めた府青商会副会長の李さんは、「会員や地域の青年たちの力によって救援隊を送ることができた。普段物静かな人やあまり顔を出さない人まで、熱い心意気を見せ、黙々と協力してくれた。本当に自慢できるメンバーたちだ」と深い感銘を受けていた。

 青商会の熱意は日本人をも動かした。

 軽油と灯油を運んだのは日本の業者。被災地行きを拒む業者が多い中で、青商会の熱意を快く受け入れた地元企業だ。社員の日本人運転手2人は志願して輸送を担った。ともに20代の若者だ。夫の被災地行きに反対していた妻も、出発の日には被災地の人に届けてほしいと手作りのクッキー70人分を持ち寄ったという。

 府青商会と触れ合った同胞、日本市民の誠意が込められた救援物資は、被災地で最も必要とされるものばかり。救援隊は津波の被害を受けた沿岸部の同胞宅も訪問し、直接物資を届けた。

■より強まった結束

 出発前はもとより、京都に戻った隊員たちのもとには、多くの関係者から労いの連絡が続々と届けられた。そして、被災地の状況や同胞の生活の様子を聞かれ、「物資が役に立っているのか」としきりに問われたという。

 隊長の李副会長は「被災地へ実際に行って自分の目で見たことによって、現場で何が必要とされているかを知ることができた」と語る。

 東北朝鮮初中級学校には多くの物資が積まれていた。壁のいたるところに張られた応援メッセージや寄せ書きを見ると、北海道から九州まで日本各地から物資が送られてきたことが、一目でわかった。「同胞社会のパワー」「組織の底力」を実感しつつ、それらを孤立した状態で暮らす人や避難所に届ける手段と人手について、しっかり対応していかなければならないという。

 「長期的な救援が求められている。被災地の人々の笑顔を見るためにわれわれが何をすべきか。より深く考えて実行に移したい」

 救援隊の6人の結束は強まった。それは府青商会の結束へとつながっている。

 府青商会は「復興支援はもちろん、当初決めたことをすべて実行する」ことを確認した。

 関係者はこう語る。

 「西日本まで動かなくなったら、それこそすべてが悪循環になる。東北や関東など、活動が制限され、イベントなどを自粛せざるをえなくなった地域の分まで青商会活動を2倍、3倍とパワフルに盛り上げたい」

 4月13日、府青商会のチャリティーゴルフコンペが予定通り行われる。参加者は大台の500人を超えることがすでに見込まれている。青商会史上最多記録の更新となる。チャリティー金は朝鮮学校と被災地の支援に充てられる。(泰)

[朝鮮新報 2011.4.6]