東日本大震災 女性同盟の救援活動 |
子どもたちの笑顔のため
東日本大震災によって被災した同胞や子どもたちのため、各地の女性同盟では震災直後から救援活動を力強く展開してきた。被害の少なかった西日本のみならず、関東や東北の被災地で暮らす女性同盟活動家やオモニたちが、「一日も早く、子どもたちや同胞の笑顔を取り戻したい」という共通の思いでつながっている。 震災が起きた3日後の3月14日、女性同盟中央では被害が深刻とされた東北朝鮮初中級学校、福島朝鮮初中級学校、茨城朝鮮初中高級学校の生徒たちに手紙と慰問金を送った。 生徒たちに寄せた手紙には、「各地の女性同盟のオモニたちは、地震被害に遭ったあなたたちがケガをしたのではないか、恐怖や寒さに震えているのではないかと思うと、一時も心穏やかではいられず、こうして手紙を書きました。今すぐに行って抱きしめてあげたい気持ちを押さえきれません」と、被災地の子どもたちの身の安全を心配する内容が書かれていた。 また、「オモニたちは、あなたたちが健康な身体で笑顔を浮かべ一日も早く楽しい学校生活を送ることができるよう、すべての力を費やしていきます」と励ましの言葉を添えた。 女性同盟では、震災直後から総連中央緊急対策委が行っている募金活動に積極的に参加している。少しでも被災同胞のためになればと、各地域女性同盟支部メンバーらが、管下の同胞宅を一軒ずつ回り募金を集めた。独自で募金袋を作り、同胞宅に配りもしたという。 一方、3月26日朝には、2泊3日の日程で、女性同盟中央の姜秋蓮委員長と李恵順文化宣伝部長が、被害がもっとも深刻とされる宮城県に入った。 姜委員長らは、女性同盟宮城県本部の金貴仙委員長と、女性同盟山形県本部の柳純玉委員長とともに、多賀城市にある避難所で800人もの日本人被災者とともに生活を送る同胞女性たちに、救援物資を届けた。 ある同胞女性(65)は、津波が襲ってくる中、命からがら電信柱に捕まって生き延びたという。避難所生活では寒さが厳しいと話していたその同胞女性に、救援物資として防寒用の下着やその他の生活用品が手渡された。 物資を受け取ったその同胞女性は、「ありがたい。こうして物資を届けてくれることももちろんだが、息子が青商会のトンムたちと一緒に、震災後、親のことを心配しつつも先に同胞のもとへ駆けつけ救援活動を行った。息子をそのような人間に育ててくれた総連組織と同胞たちに心から感謝している」と涙を浮かべたという。 一行はまた、3月27日には東北初中の卒業式に参加し、卒業生たちに記念品と図書券を贈った。卒業生のみならず、在校生全員分の図書券も贈ったという。 姜委員長は、被災地での出来事を振り返り、「もっとも印象的だったのは、くじけることなく被災生活を送り、いつも地域同胞と子どもたちを気遣いながら支援活動に取り組む若い教員たちの姿だった」と話した。「入浴など日常生活が不便な中でも、明るい表情で、地域同胞や子どもたちを気遣っていた。その姿に大きな力をもらった」。 東北初中で教員を務める金英任さん(26)の実家は福島にある。福島第一原発の問題いまだ予断を許さないなか、実家の両親の安全を懸念しながらも、震災以降一度も帰宅せず東北初中で生徒たちとともに生活している。 金さんは「両親のことは心配。けれど、大震災のショックがいまだぬぐえきれず恐怖心を抱えている子どもたちを前に、教員である自分が不安な表情を見せることはできない」と毅然とした態度で話したという。 また、同校食堂で15年以上働いてきた金桂子さん(62)は震災直後、かろうじて断水を免れた自宅から水を運び、停電のなか懐中電灯を頼りに子どもたちのために料理を作ってきたという。 姜委員長は、「今後も女性同盟では、被災地の同胞たちが、一日も早く地震被害を克服し、安全を取り戻せるよう、相互扶助の精神でより多くの同胞女性たちと力を合わせて支援活動に取り組みたい」と話した。(周未來) [朝鮮新報 2011.4.4] |