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東日本大震災 福島 同胞社会を守る取り組み

震災と原発の二重苦

 東日本震災による被害と原発事故による放射性物質の漏えいという2つの問題を抱える福島県。この地に住む同胞たちは、目に見えない放射能の恐怖に不安を募らせている。福島を離れ、県外に避難する同胞たちも少なくない。現地で見たものは、地域同胞社会を守り、元の生活を取り戻すため、懸命の取り組みを続ける人々の姿だった。

避難所最後の夜

学校での避難生活を終えて、総連福島県本部の金政洙副委員長と握手を交わす金英さん(左から2番目)

 3月29日夜、郡山市にある福島朝鮮初中級学校は避難所としての最後の時を迎えようとしていた。

 地震直後から同校には多くの同胞、日本人被災者が身を寄せ、市の指定避難所にもなった。一時は30人近くが避難生活を送っていたが、最後の1組が残った。

 双葉郡広野町に住む金英さんは震災3日目の13日から、いわき駅前で焼肉店を営む息子の英士さんと店の従業員家族ら4人とともに同校で生活してきた。

 町は津波で甚大な被害をこうむったが、金さんは高台に避難。自宅も被害を免れた。津波が町を飲み込む瞬間を間近で見たという金さん。「あんなものは2度と見たくないし、こんな経験はもうごめんだ」。

 翌日、金さんは2週間以上にわたる避難生活を終え、学校を後にした。行き先は、英士さんの店があるいわき市。実家のある広野町は放射性物質の漏えい問題で揺れる福島第1原発から半径30キロメートルの屋内退避の範囲に含まれており、町の一部は避難指示エリアである20キロメートル圏内にかかっている。

 いわき市内ですぐに家を借りることも可能だというが、状況が落ち着くまでしばらく総連福島・浜通り支部の事務所で暮らすつもりだ。「目に見えない放射能からどうやって逃れればいいのか。東京電力や政府の説明も難しくて理解できない。家に戻りたいが、原発に近い区域は何十年も人が住めない土地になるかもしれない」。

展望見えぬ原発問題

津波と火事で全壊した久之浜の自宅の前にたたずむ載浩さん

 現在まで県内同胞の人命被害は報告されていないが、沿岸部の浜通り地域では自宅や店舗を破壊されたり失った人は多い。福島初中に身を寄せていた避難者も同地域の人々がほとんどだった。

 この厳しい状況に原発問題が追い討ちをかけた。他の被災地と福島が違うのは、原発トラブルに見舞われているという特殊性だ。放射能に対する不安と恐怖から、少なくない同胞家庭が関東地方、遠くは関西まで避難している。

 いわき市では、津波被害に加えて、放射能への恐怖から物資が十分に運び込まれず、物資不足が著しい地域が多い。浜通り支部・平分会の分会長を務める尹載浩さんは、市内で最も被害がひどいと言われている沿岸の久之浜地区で自宅を失い、学校に一時避難。

日本各地から福島に送られた救援物資の一部

 今はいわき駅前に構える焼肉店の2階で暮らしている。「地震、津波、火災、そして原発の四重苦」と苦笑いだ。郡山に次いで同胞世帯数が多いいわき市。基幹交通手段であるJR常磐線はいまだ不通で、風評被害も重なり、孤立感は深刻化しつつある。同行した総連福島・中通り支部の尹鐘寛委員長は、「このままだと陸の孤島になる」と危機感を募らせていた。

 放射能禍の余波は郡山にも及び、子どもをウリハッキョに通わせる世帯を含め県外避難が相次いだ。一時は子どもを学校に送る全11世帯中、県内に残ったのが1世帯のみという状態になったが、現在まで6世帯が戻ってきた。

 避難者が徐々に戻り始めているとはいえ、状況が改善されたわけではない。決して原発問題で安全を確信したわけではなく、商売を再開させたり、自分たちの暮らしを続けていくためには元の場所に戻らざるをえないという面もあるのだという。

長期戦に備え

地震で大きな被害を受けたいわき市・平の同胞宅

 同胞たちの今後の生活を安定、正常化させるうえで原発の問題は避けて通れないが、その前途は不透明だ。

 「前が見通せず、復興に向けたスタートラインにも立てていない状態」と語るのは総連福島県本部の金政洙副委員長。「個人的な見解」と前置きしながらも、「同胞たちの恐怖心を取り除くには相当な時間がかかるだろう」と見ている。

 原発の問題が今後どうなるのか、はっきりとした展望が見えず、日々の動きにほんろうされる現状に、対策委員会のメンバーも、もどかしさを隠さない。

 対策委員会では、状況を注視しつつも、当面の活動の方向性を打ち出している。活動の柱は3つ、▼被災同胞救援活動▼日本の法に基づいた復興措置の推進▼学校の再開および運営だ。

 対策委員会では、3月13日から学校を拠点にして被災同胞に対する救援物資供給活動を行ってきたが、今後はいわき市の浜通り支部を前線拠点にして活動を行う。現在、学校にある物資が続々と浜通り支部に運び込まれている。

 そして、地域同胞社会の大きな関心事である学校の問題。延期されている卒業式と入学式をそれぞれ8日と11日に行うことが決まった。同校教員を中心に式の準備を万全に整えている。

 「復興は長期戦になる」。総連福島県本部の張泰昊委員長は、今後続くであろう困難な取り組みに覚悟を決めたように語った。(李相英)

[朝鮮新報 2011.4.4]