ケセラ・セラ |
お歳暮のあいさつに大掃除、ミョンジョル(名節)の準備…毎年追われるように新しい年へと駆け込む。 年をかさねるにつれ新年を迎える感慨は薄れる一方だが、昨日の延長線上にすぎない今日であっても、一年ごとに心身をリセットできる時間が与えられるのは、やはりありがたいことだと思う。 今年はいよいよ五十代に突入−。 まだ実感はわかないけれど、子どもも手を離れ、人生の新たな季節が始まりそうな予感がしている。 結婚、出産、育児、仕事と家庭―振り返ってみれば、三十代、四十代は初めてづくしで、二十代には想像もしなかった厳しい現実に打ちのめされることも多かった。 子どもの頃、当り前に見えていた「普通の暮らし」が親のどれほどの葛藤によって支えられていたのか。 歯を食いしばってがんばることも大事だけれど、自分をいたわってあげることもまた、明日へ踏み出すためには必要だということ。 悶々と悩む歳月がたくさん気づかせてくれた。そして、苦しいことや辛いことがこれでもかと押し寄せてきて心が煮詰まりそうになったときは「ケセラ・セラ」と開き直り、やり過ごす 鈍感力≠ヘ若さと引き替えに贈られた貴重な財産だ。 百年に一度といわれる不況の時代。どんな苦境にもめげることのないしなやかな心を目指して、焦らず、諦めず、日々の暮らしを丁寧に紡いでいきたい。(鄭潤心、東京都在住 会社員) [朝鮮新報 2010.1.15] |