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思索の旅へ−併合100年目の夏に思う

 今年も8.15がやってくる。祖国解放65周年ではあるが、併合から100年の年であり、特別な思いをかみ締めている人も多いことだろう。

 なぜ、われわれがここにいるのか。祖国の地から引き離されて、異国に生を受け、根を張り続けたのか。在日朝鮮人の若者らは、成長過程でこれらの疑問にぶつかり、悩み、やがて答えをみつけ、たくましく生きていく。

 そこで、この夏、自らの歴史、ルーツをたどるそんな旅に出てはどうだろう。たとえば、京都の「耳塚」。豊臣秀吉の朝鮮侵略の残忍さを明確に示す証拠として、多くの示唆を受けるだろう。訪ねる前に、故琴秉洞氏の労作「耳塚」を紐解けば、なお、先人の艱難辛苦、民族の受難をわがものにできるかもしれない。

 もう一カ所見てほしいのは、宮城県栗原市にある「安重根 千葉十七顕彰碑」だ。

 朝鮮併合前の1909年10月26日、ハルビン駅頭で日本の初代首相伊藤博文が独立運動家・安重根によって射殺された。この一撃は、亡国の苦しみにあえぐ朝鮮民族の気概を世にとどろかせ、侵略者を震えあがらせた。安は5カ月後に処刑されるのだが、直前まで敬愛の念を抱き、獄中の身≠いたわったのが、当時24歳の憲兵千葉十七であった。安は千葉に感謝し、書を贈った。帰郷後、千葉は妻と共に仏壇に遺影を飾り、終生、安の供養を続けた。1934年、49歳で亡くなった後は、妻とその一族、地域の人々によって綿々と受け継がれ、今ではその碑を訪ねて、足を運ぶ人が絶えないという。

 深い人間観と歴史観を身につける思索の旅へ。受け身ではなく、自らの意志で飛び立とう。(粉)

[朝鮮新報 2010.7.23]