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5.18を忘れない−光州人民蜂起から30年

 光州人民蜂起(1980年5月18日)から30年−。

 当時記者の年齢は10歳にも満たなかったが、連日大人たちがテレビの前に釘付けになり、担任の先生までもが全斗煥をののしり怒りに震えていたのを憶えている。

 総聯の活動家たちは、家庭用映写機を抱えて同胞宅を訪ね、記録映画「光州は告発する」の上映活動を展開していた。放課後、母の自転車の後部座席にまたがり、同胞宅へと同行するたび、何かすごいことが起こっていると思いながらも、「大人たちはなぜ、残虐な映像ばかりを繰り返し見るのだろう…」と、大きな効果音とナレーションに耳をふさぎ、残虐な映像から目を背けたくなったことを思い出す。

 それから10年後、朝鮮大学校へ入学すると、政治経済学部2年を中心に各学部で5.18記念企画が催され、その準備に駆り出された。先輩たちと図書館で関連資料を探す中、ある書籍に収録された犠牲者の悲惨な姿が脳裏に焼きつき、幾夜も眠れなかった記憶がある。あの頃の学生たちは、反米と自主・民主・統一のために命を懸けてたたかっていた南の学友たちと共に、祖国統一のため自分に何ができるのかと悩んでいた。

 歴史的な6.15共同宣言発表は、祖国統一を願う北・南・海外同胞のつながりをさらに強め、意義深い交流を実現させた。

 思えば6年前、取材先で出会った李恩僖ハルモニ(故人)も光州出身だった。「親せきも知り合いも皆、5.18のときに殺された」と話しながら、「祖国統一のため」、80歳まで自転車をこいで朝鮮新報を配達してくれていた。

 30周年を迎え、再び「光州」を考える。(潤)

[朝鮮新報 2010.5.14]