中央登山協会と各地の同胞登山家 日本百名山ついに踏破 |
在日同胞の中では15年余りの間、空前の登山ブーム、健康ブームが続いている。休日になると登山サークル、地域の仲間、家族などと爽やかな汗を流しながら雄大な山々、美しい自然、澄んだ空気を満喫している。
協会結成15周年
ここ数年、同胞登山愛好家はハイキングから初級、中級の山はもちろん日本百名山、白頭山(2744メートル)、金剛山(1638メートル)をはじめとする朝鮮の名峰、漢拏山(1950メートル)など南朝鮮の山にも登った。またヒマラヤの世界最高峰・エベレスト(8848メートル)など7大陸最高峰を制覇した同胞登山家(鄭義哲氏、38)も現れた。 登山はより高所をめざすスポーツである。在日本朝鮮人登山協会では同胞登山家らの健康増進と親睦、ネットワークを拡大し、レベルをより向上させるため、協会による日本百名山登頂を目指した。 日本の登山家で作家の深田久弥氏が自身で歩き選んだ「日本百名山」。山の品格、歴史、個性、1500メートル以上が選択の基準である(筑波山・877メートルと開聞岳・924メートルは例外)。商業意識、地域意識がないので、公平でもあり、明快でもある。 2008年11月20日、在日本朝鮮人登山協会の拡大理事会で金載英会長は、日本百名山の登攀を提起、翌年1月28日の登山協会理事会で具体的な討議を行った。 ▼期間は2009年4月から2010年9月までとし、登山協会結成15周年記念事業とする▼登攀写真撮影の旗デザインを決め、作成する▼登頂写真は在日本朝鮮人体育連合会のホームページに掲載する▼1人でも多くの同胞登山愛好家が参加できるように各県、地域サークル、個人に百名山登攀計画書、旗、その他資料のCDを配布する▼この事業を通して登山サークルの拡大、強化を図る▼各県で登攀する山を分担する−ことなどを決めた。 4月3日に福島、茨城、栃木、群馬の責任者会議を栃木で、18日には青森、山形、秋田、岩手、宮城、福島の東北6県の担当者会議を仙台で開催、東北の山を担当することとした。その他、地域別各県およびサークルなどで協議、計画を立てた。各地域の同胞登山協会では「みんなで登ろう百名山、成し遂げよう祖国統一」のスローガンを掲げ、競って百名山を目指した。 4月14日、登山協会の朴相俊理事長ら群馬同胞登山協会のメンバー7人が初めての百名山挑戦となった赤城の黒桧山(1828メートル)を登頂。同日、兵庫同胞登山協会の崔種楽会長が大分と宮崎の県境にある祖母山(1757メートル)の登頂を果たした。 その後、団体、個人により早いペースで百名山登山が展開され、2009年度に82座登頂を達成した。 高難易度にも挑戦
残りの18座はアプローチ、難易度を見てもかなり難しい山々であった。果たして期間内に達成できるのか、協会関係者はやきもきした。とくに、今年は天候が不順で悪条件が重なったが、各地で数座の登頂報告があった。 中央登山協会では第16回中央登山(尾瀬の至仏山と尾瀬ヶ原)が行われた今年9月26日まで、何としても百名山登頂を達成すべく金載英会長を中心に最後の数山を目指した。残ったのは北海道の2座と新潟の2座。北海道同胞登山家の李清貴、金清、金尋、李敬銖氏らと金載英会長ら9人(南勝子氏ら女性2人含む)は9月10日から5泊6日の日程を組み、まず10日に千歳から利尻島に飛行機で移動。11日午前5時に標高200メートルの地点から利尻山(1719メートル)を目指した。1500メートルの高低差に2人の女性と初めて厳しい登山に臨んだ十勝在住の金海廣氏は体力を考慮して頂上へのアタックには自信がなかったが、仲間に励まされ、遂に11時過ぎに全員頂上に到達した。この日は快晴に恵まれ、絵に描いたような利尻山と眼前に広がる美しい海はまさに絶景、それに感動を覚えながら下山した。その日の夕食時、北海道同胞登山協会(仮称)の発足が話し合われ、初代会長に李清貴氏が選ばれた。 13日と14日にかけて百名山で最難所の一つである、日高山脈の最高峰・幌尻岳(2053メートル)に金清、李敬銖氏ら4人が臨んだ。13日、登山口(取水施設)から専用の渓流シューズに履き替えて渡渉(沢・水を歩く)を約20回繰り返した。時には水が腰あたりまで達し、体が下流へ流された。渡渉を克服し約2時間半かけて幌尻山荘に到着、自炊し翌朝5時に山行開始。急坂をよじのぼり頂上が近くなると、沢の源流や高山植物を楽しみながら進んだ。野生のブルーベリーも食し、午前9時に頂上に到着、原始性溢れる日高の雄大な山々を一望した。 これに先立ち8月4日、東京同胞山友会が石川県など4県にまたがる日本3名山の一つ、白山(2702メートル)に登山。35℃を越える猛暑の中、メンバーの李福権氏(82)と兵庫同胞登山協会の崔種楽会長(78)は1500メートルの高低差を11時間かけて踏破、翌5日には近くの荒島岳(1523メートル)に挑戦し、高低差1100メートルを9時間かけて山行した。2人合わせて160歳の老登山家が強靭な精神力と衰えを知らない体力を発揮した。 9月11日には東京中杉・山燦会の石梨香会長(75)が北アルプス・西穂高岳からのジャンダルム(主峰の前にそびえ立つ岩峰)を見事に踏破、高峰・奥穂高岳(3190メートル)の登頂を成し遂げた(白山、荒島岳、奥穂高岳は再登頂)。 残りは新潟の2座、9月18日に金載英会長ら3人は99番目の火打山(2461メートル)と100番目の妙高山(2454メートル)にアタックした。登山家・鄭義哲氏は午前3時の暗闇のなかで登山を開始。火打山頂上に9時には早々と到達し妙高山へと縦走、金会長らは別ルートからの急坂を試み12時10分、ついに妙高山山頂にたどり着き合流した。一行が百名山登頂達成の感動に浸っていると、頂上にいた多くの日本の登山家から熱烈な拍手が送られた。金会長は頂上で体連の鄭智海副会長、登山協会の金英名誉会長に達成の喜びを伝えた。この成果を持って今回の同胞中央登山大会を意義深く迎えた。 一座を登るには、飛行機、列車、車を使い、数日かけて行われる。百名山の登頂は、昨年4月から約1年半、数々の困難を乗り越え、各地の同胞登山家の努力とチャレンジ精神、惜しみない協力によって成し遂げられたのである。 登山協会では、百名山達成に協力してくれた多くの同胞登山愛好家たちに心からの感謝を述べたい。(李英銖・在日本朝鮮人登山協会副理事長) ※百名山を達成した登山愛好家の登頂写真は下記のホームページでご覧になれます。 在日同胞登山愛好家の日本百名山登山計画」特設ページhttp://www.cheryon.sakura.ne.jp/100.php [朝鮮新報 2010.10.27] |