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同胞シニアが東京で交流戦 「高麗SC」×「広島高麗」

広がる「蹴球団塊」

 50、60代同胞のサッカーチーム「高麗50」「高麗60」と「広島高麗」の交流試合が17日、東京朝鮮中高級学校グラウンドで行われた。昨年、関東在住の60代同胞らで結成された「高麗60」の金明植さん(71)ら元在日朝鮮蹴球団選手たちの呼びかけで、昨年10月に広島で開催されたのに続き2回目。今回は、関東や広島だけでなく愛知、大阪、神戸、福岡からも選手が駆けつけた。蹴球団で活躍した往年の名プレーヤーや朝高、朝大の先輩後輩との交流で、参加者たちの表情は終始、笑顔だった。出場選手が増え全体のレベルも向上するなど、試合自体も盛り上がりを見せた。

スターと真剣勝負

試合では激しい当たりも見られた(白が「広島高麗」)

 試合は50代、60代、混成チーム同士の対戦となった。選手たちは往年の活躍を彷彿とさせる高い技術、年齢を感じさせない走りと激しい当たりで、応援に駆けつけたサッカー関係者や家族、観戦した朝高生らを驚かせた。

 50代の対戦は、6月に行われた「第9回全国シニア(50歳以上)サッカー大会」で優勝した「高麗50」が実力差を見せつけ2―0で勝利した。2得点を挙げた呉泰栄さん(56)の活躍が光った。「広島高麗」も引けをとらずサイドから果敢に攻め込んでいたが、スピードと正確なパスに押された。

 一方、在日朝鮮蹴球団の草創期や1960、70年代の全盛期を支えた「伝説の名プレーヤーたちの競演」となった60代の対戦は、1−0で「広島高麗」が勝利した。

 娘や孫が見守るなかで決勝点を挙げた宋徳竜さん(59)は、「憧れの先輩たちがいるなかでゴールを決めることができて幸せ。気分爽快だ」と喜んだ。チームを物心両面でサポートする宋さんの活躍にチームメートも喜んでいた。

 最後は年齢、チーム、居住地の垣根を取り払った混成チームの対戦。白髪や薄い髪、丸みを帯びた腹、それでもまだまだ壮年の気迫がみなぎっていた。なかには数十年ぶりにプレーした選手もいたが、みんなのびのびとプレーしひたむきにボールを追いかけた。

 観戦に訪れた「大先輩」が後輩たちに背中を押され急遽出場する一幕もあった。軽やかなボールさばきに歓声が上がった。

 試合後は都内の温泉で汗を流し、宴会で交流を深めた。思い出話や近況報告、自己紹介など話題には事欠かない様子だった。

尊敬と友情

1年ぶりの再戦で健闘を称え合う選手たち

 参加者たちは交流の場を設けてくれた東京、広島の関係者たちに感謝した。

 「まさかチュックダン(蹴球団)の名プレーヤーたちと一緒にサッカーができるとは」

 50、60代になってもスターの存在は絶大。朝鮮学校の生徒たちが安英学、鄭大世選手を見る目と同じ輝きだ。

 35年ぶりにサッカーをした元蹴球団選手の李在昊さん(65)は、巧みな話術で場を盛り上げ、先輩と後輩、地域間の壁を取り払うのに一役買った。

 李さんは選手当時をこう振り返った。

 「当時、蹴球団は日本国内で最強と言われていたが、技術よりも根性でやっていた。勝つことで応援してくれた同胞たちに報いようとがんばった。朝鮮人としての誇り、それがすべてだった」

 その誇りは数十年経った今も変わらず持ち続けている。今回の交流試合もサッカーを通じた同胞社会の活性化に目的があった。

 元蹴球団選手である「広島高麗」の「学碩(59)さんは、「サッカーの経歴や技術の差を越えて、同胞たちが健康で楽しくサッカーができれば何よりだ。この楽しく有意義な場を各地に広げたい」と語る。

 サッカーで同胞社会に貢献し、後輩や同胞たちを心から思いやる蹴球団の名手たちは、今も昔と変わらず光り輝いていた。両チームの選手たちは、先輩たちの心意気に応えるために選手を集め一生懸命練習してきた。「ただの憧れなら1度きり、尊敬や友情があるから永遠だ」。

同胞の仲間探そう

笑顔を絶えなかった交流会

 「広島高麗」の゙良明さん(64)は、蹴球団の先輩に「俺が現役でサッカーしてるのにお前は何をしてるんだ」と檄を飛ばされたことで奮起し、チームをまとめ上げた。

 「広島高麗」はこの1年間、週1、2回の練習に励んできた。「雨の日も雪の日も、参加者が少ない時も休まなかった」。練習試合では、息子や孫である生徒たちに胸を借りた。呼びかけによって新たに知り合った同胞もいた。

 「チュックダン魂」は東京から広島に広がった。゙さんは手ごたえを掴んでいる。

 「同胞社会でサッカーの影響力は大きい。広島朝鮮蹴球団や朝高サッカー部出身の同胞に声をかけたら続々と集まってくれた。同胞の輪が広がった」

 一方、「高麗60」も広島の奮起に大きく刺激された。「高麗40」「高麗50」に続いて、シニアリーグへの加盟、全国大会優勝を目指しチーム強化を図っている。

 金明植さんは「広島はわずか1年で目覚ましく強くなった。他の地域でも必ず同じことができるはず。みんな同級生や先輩、後輩に会えることを喜んでいる。そんな同胞たちをどんどん探し出していきたい」と語る。

 サッカーを通じた交流と健康促進に始まり、同胞探し、朝鮮学校支援など、夢や構想は益々広がっている。交流会の席では早くも次回の予定が組まれた。関係者らは、この日集まった喜びと楽しみを近畿など他の地域にも広め、数年後には在日同胞のシニア中央大会を開きたいと語った。(李泰鎬)

[朝鮮新報 2010.10.20]