第9回全国シニアサッカー大会 「70年代朝高生」日本一に |
在日同胞シニアチームの高麗SC50が全国制覇した。6月25〜27日に鳥取県のコカ・コーラウエストスポーツパーク球技場で行われた「第9回全国シニア(50歳以上)サッカー大会」に出場した高麗は、27日の決勝でPK戦を制し、初優勝した。同大会は日本サッカー協会が主催する50歳以上の各地予選大会を突破した16チーム(9つの地域と開催地1チーム)で日本一を決める大会だ。
闘志見せ競り勝つ
結成6年目の高麗SC50のメンバーは1970年代に「幻の強豪」「無冠の王者」と言われた同胞たちだ。在日朝鮮蹴球団、地方蹴球団、朝鮮大学校、各地の朝高などで活躍した選手たちが属しており、自営業、サラリーマン、専従活動家など、職業もさまざまで、2004年に高麗SC40として日本スポーツマスターズ(40歳以上の「全国大会」)で優勝した選手も多く含まれている。 高麗は今大会、大会初日と2日目にかけて行われた大会Dグループで、室蘭シニアサッカークラブ(2−0)、広島四十雀サッカークラブ(2−1)、秋田シニアサッカークラブ50(2−0)とのリーグ戦を3連勝した。 6月27日には静岡県選抜50との準決勝に臨み、1−1で引き分けたが、PK戦(4−3)で勝利した。 決勝戦の相手は京都府シニア50。試合は1−1となり、PK戦に。高麗は強靭な闘志を見せ、5人全員が決めた。結果、高麗は5−3で競り勝ち、悲願の優勝を手にした。 「W杯の雪辱」 70年代にその名を各地にとどろかせ注目を集めてきた高麗の選手たち。選手たちは学生時分に日本の公式戦に出場できずに辛酸をなめてきた。90年代にインターハイなど「全国大会」への道が開かれて以降、高麗の選手らも朝高生の活躍を温かく見守ってきた。2001年からは、外国人選手が6人以上いる高麗のような「準加盟」チームもシニアの「全国大会」に出場できるようになった。 GKとして活躍した梁祥亀選手によると、高麗の選手らは大会前、44年ぶりにW杯に出場することになった朝鮮代表のグループリーグ敗退の雪辱を晴らそうとチーム熱が上がっていたと明かす。「かならず『全国大会』で優勝しよう」とチームの士気はいつも以上に高まっていた。 高麗が今大会に出場するのは3回目だった。初出場の第7回大会(北海道)では3位、第8回大会(岩手県)では2位という結果を残している。そして今回の第9回大会で優勝を果たした。 東京朝高サッカー部、在日朝鮮蹴球団OBで、高麗の会長を務める呉泰栄選手は、「これからも私たちの活躍をもって在日同胞に大きな力と勇気を与えていきたい」と抱負を語った。 一方、40歳以上のチームである高麗SC40は関東予選を勝ち抜き、9月18日から21日にかけて三重県営鈴鹿スポーツガーデンサッカー場で行われる日本スポーツマスターズ決勝大会に出場する。(東) [朝鮮新報 2010.7.12] |