〈2010W杯〉 朝鮮サッカー 飛躍の可能性−中− |
同胞選手加入で戦術変化、若い世代中心にスタイル確立 2010年の代表チームは、8強を達成した1966年のチームから集団力など多くのものを受け継いだが、相違点もある。「変化」の一つは、在日同胞選手が加わったことだ。民族教育で育った彼らはチームの柱として活躍。チーム内での期待はW杯での活躍を通じてより高まった。
在日同胞選手の刺激
今回、朝鮮代表のスタイルを象徴する一つに、在日同胞選手の活躍が挙げられる。在日同胞選手は80年代から代表に召集されるようになった。その第1号選手であり、08年1月から代表コーチを務める在日本朝鮮人蹴球協会の金光浩副会長は、今大会で、朝鮮代表における在日同胞選手の立ち位置がはっきりしたと強調する。 金コーチはコートジボワール戦後(6月25日)、次のように話した。 「われわれ在日同胞の及ぼす影響、役割の大きさをあらためて感じた大会だった。同胞選手がどのようにチームで役割を果たしていくかという期待も、これまで以上に高まった」 日本で生まれ朝鮮学校に通い、現在は各国のプロリーグで活躍する同胞選手の国際経験がチームに刺激を与えた。また、同胞選手の姿勢もチームのカンフル剤となっている。ナム・ソンチョル選手は「同胞選手の熱意を感じる」と述べる。 今大会には、3人の在日同胞選手が招集された。3人とも、民族教育が育んだ選手たちだ。 体を投げ出し献身的にゴールを死守する安英学選手の姿、そして私生活での態度や言葉使い、南朝鮮や日本で体得してきたサッカー選手としての姿勢は朝鮮選手の手本となっている。 在日同胞としてのプライド、夢や希望、朝鮮代表としての可能性について探求する姿、「しっかりと守ってすばやい攻撃につなげる」という高い戦術意識は、チーム全体の強化に磨きをかけていた。 鄭大世選手の代表選出は、朝鮮代表のチーム戦術を大きく変えた。ホン・ヨンジョ主将が「パワーとシュート能力に驚いた」と述べるように、一人で前線に張ってシュートまで持っていける身体能力の高さは、これまで朝鮮にいなかったタイプのFWとして、キム・ジョンフン監督が目指した堅守速攻型のチームスタイル確立に貢献した。 また、試合に出場することはできなかったが、梁勇基選手の高い意欲はチーム練習の質を高めた。 強化図ってきた協会
朝鮮代表には在日同胞選手以外にも海外でプレーする選手がいる。 ホン・ヨンジョ主将は4.25体育団からセルビアのベジャニヤ(07−08年)を経て、08年シーズンからはロシアのロストフに移籍し、チームのプレミアリーグ(トップリーグ)昇格に貢献した。 チーム内で「朝鮮のスター」と呼ばれるホン・ヨンジョ選手。技術を駆使するブラジルのサッカースタイルは、朝鮮にとってやりにくいと考えていたが、実際に試合をしてみたら、自身が思っていた印象とは違ったという。「2失点後、最後まであきらめずに1点を返したのは、朝鮮サッカーの一番の特徴」。集団力を発揮することで1―2というスコアに持ち込むことができたことに、手ごたえを感じていた。 一方、朝鮮では数年間、協会サイドと現場による強化対策を取ってきた。協会サイドでは1980年代後半からFIFA、AFCとの連携により、女子サッカーのカテゴリー別強化を図り、ワールドクラスにまで実力を高めた。 男子は一時、低迷の時期が続いたかに見えたが、協会では1990年代からAFC、FIFAの協力を得て、環境づくりに重点を置いた若い世代のカテゴリー強化に努めてきた。このような取り組みがU−17、U−19の結果にもつながった。 現代表チームの多くが当時の若い世代で構成されており、W杯アジア予選が始まるころの関心と期待は非常に高まっていた。チーム内の競争心も高まり、若い世代の突き上げで、層も厚くなっていった。 朝鮮はW杯出場が決まった昨年6月以降、海外での強化合宿を通じ、国際経験を多く積んできた。 同年10月にはチーム強化のためフランスでの強化合宿を、11月にはブラジルのクラブチームと平壌で親善試合を行った。今年1月にはトルコで、2月末からは南米で、4月にはスペインで、5月にはスイスで強化合宿を行い、W杯出場国との試合もこなした。 そして、昨年12月末から年始にかけて行われた国際親善大会(カタール)、今年2月のAFCチャレンジカップ(スリランカ)で優勝したB代表の活躍も全体のレベルアップにつながった。 世界を見据え、チームに常に刺激を与えることで、新たな戦術を生み出すのは、在日同胞選手を受け入れ本国の選手に多くの国際経験を積ませるというチームの方向性にもある。W杯で朝鮮は全敗したが、今回の経験が次回のW杯へとつながっていく。 鄭大世選手はドイツ2部のボーフムに移籍した。今後も朝鮮代表はさらなる進歩を見せるだろう。(李東浩記者) [朝鮮新報 2010.7.9] |