〈2010W杯〉 朝鮮サッカー 飛躍の可能性−上− |
「11人」でもぎとったゴール、「王国」相手に集団力発揮 「朝鮮サッカー飛躍の良い契機となった。第一の目標(グループリーグ突破)を達成できなかったが、今後の発展につながる貴重な経験を積んだ」。44年ぶり2度目のW杯出場を果たした朝鮮代表のキム・ジョンフン監督は、大会出場の意義についてこう述べた。朝鮮はアジア予選からW杯本大会にかけて、伝統の集団力と新たな可能性を見せ、飛躍の土台を築いた。世界における「立ち位置」を確認したことで、2014年大会を目指す課題が明確になった。 ブラジル戦でのゴールは集団力で得た44年ぶりのゴールだ。朝鮮代表は今大会でも集団力を重視した。勝利を目指すイレブンが連動し、積極的に試合へ臨もうという集団主義の意識は、W杯本大会出場を可能にさせた朝鮮の強みであり、44年前と変わらぬ姿でもある。
イレブンが一つに
44年ぶり2度目のW杯出場を果たした朝鮮代表はグループリーグ3試合で3敗した。強豪国を相手に善戦したが、世界の壁の厚さを実感したのも事実だ。 昨年、W杯出場を決めたときから、集団の力が一つになればできないことはないと身にしみて感じてきたキム・ジョンフン監督は、W杯初戦の直前、「チームとして世界の名プレーヤーを抑えたい」と集団力への自信を見せていた。大会中も戦術について人一倍神経を使い、熟考していた。 6月15日のブラジル戦は、しっかりと守りカウンターへとつなげる朝鮮の強みが発揮された試合だった。 世界屈指の高い個人技で2点を先制されたが、後半44分に最後方のリ・ジュンイル選手からのフィードを鄭大世選手が頭で後方へ折り返し、走りこんだチ・ユンナム選手が左足で豪快に決めた。ブラジル選手の動きも予想通りだったというチーム首脳の采配も光った試合となり、1−2で負けたものの、出だしとしては上々だった。 朝鮮は高い技術とスピード、不屈の闘志でサッカー王国と呼ばれるブラジルのカカをはじめ、主力選手に対し数人で早めのプレスをかけ、攻撃の芽を摘んだ。体を投げ出した安英学選手のスライディング、運動量はチームの士気を高めていた。 「失点した後も試合を放棄することなく、みんなで走った」(パク・ナムチョル選手) 朝鮮の集団力は、ブラジルの戦術にも対応し、なおかつ自慢の守備も通じるんだという自信をチームにもたらした。そしてその意識は技術や体格よりも大事なもの(リ・ジュンイル選手)であると選手たちに感じさせた。 豊富な運動量で速攻型チームを支えたチャ・ジョンヒョク選手は、「朝鮮のサッカーが決して弱くないんだということを実感した。チームのためになればと、右サイドをたくさん走った」と話した。 後半、ブラジルのサイド攻撃は鋭さを増した。2失点を許したが、終了間際の44分、今大会唯一のゴールが生まれた。集団力の結実だった。 2失点後、最後まであきらめずに1点を返した場面には、朝鮮の一番良い特徴が現れていた。 シュートを決めたチ・ユンナム選手は、「ブラジル戦でのゴールは自分だけで決めたゴールではない。チームの、集団のゴールだ」と振り返った。鄭大世選手のアシストも良かったが、11人の力が一つに合わさってもぎとった44年ぶりのゴールだった。それは「千里馬サッカー」と呼ばれた朝鮮サッカーの伝統が、いまなお世界に通用することを見せつけた瞬間でもあった。 選手の体調を管理 朝鮮は常に、集団力の強化を重視した。W杯本大会出場決定後は海外遠征を通じ、チームワークの向上に努めてきた。朝鮮の選手は皆、「愛国心」を大切にしている。祖国の期待に必ず応えるという選手たちの気持ちが強いチームワークのベースになっている。 選手たちは大会期間中、朝鮮料理を食べてコンディションを整えた。選手団に2人の料理師が同行した。一人はスイスでの直前強化合宿から選手団に合流。このような措置は、昨年4月以降から実施されている。 選手らが囲む食卓には毎日、水キムチやユッケジャンをはじめとする選手たちの嗜好にあった料理が所狭しと並んだ。 「朝鮮ではチャプサル(もち米)で作るチャルトク(餅)を食べたら試験に合格すると伝えられている。明日の試合のために、今日はチャルトクを作った」 料理師の一人はこのように話しながら、グループリーグ初戦(ブラジル戦)前日のメニューについて説明した。ちなみに鄭大世選手は自身のブログで水キムチがとくにおいしかったと紹介している。 南アフリカ駐在の朝鮮大使館では冷麺を作り、選手団ホテルに届けた。「選手たちが食べたいと思って」(アン・フィジョン大使)、大使の夫人が中心となり作った。2〜3杯食べた選手も多く、それをほおばる表情はまるで平壌にいるときのようにリラックスしていた。 選手のメンタルの変化やチームの状態によって料理師の表情や声のトーンは変わっていた。 「いつどんなときもみんなで戦っている」という意識が料理師や関係者の心の中には常にあった。試合に出場する選手以外の集団力も朝鮮代表を支えていた。(李東浩記者) [朝鮮新報 2010.7.7] |