〈ベスト4への道 大阪朝高ラグビー部物語-4-〉 誇り高き礎たち |
「花園に行きたい」
「花園に行きたい」 それは、選手たちだけの願いではなかった。そして、大阪朝高ラグビー部が掲げる、「하나(ハナ、ひとつ)、믿음(ミドゥム、信頼)、승리(スンリ、勝利)」をスポットライトの外で一緒に叫び、選手たちを信じ続けたのは監督だけではない。 同部マネジャーの金玉姫さん(2年)は3人兄妹の末っ子。2人の兄はラグビー部員だった。 「オッパ(兄)たちの影響でラグビーに興味を持ち、マネジャーになった。花園に行くことはオッパたちの悲願でもあった」 前回大会は府予選決勝で常翔啓光にその道を断たれている。金さんは、2人の兄が果たせなかった夢の続きを、選手たちの一番近くで見続け、声援を送り続けた。 しかし、いざ花園に乗り込んだとき、「自分がここにいていいのだろうか」「何もしてない、何もできないじゃないか」と不安になったという。その時、彼女は応援席に集まる同胞たちの姿を見る。 女だからと特別扱いされることはない。きつい言葉を言われることもある。選手同様、休日もない。弱音を吐いたこともあったが、練習後、自分よりも疲れているはずの選手たちの笑顔に励まされてきた。応援に駆けつけた同胞を見て、そんな思いが蘇り、自分にできることは選手たちを信じて、声援を送ることだと気づく。 「同胞の応援は本当にすごかった。ありがたくて、うれしくて涙が出た。選手たちだけではなく、ベンチにいる自分たちも勇気づけられた。誇りに思う」 スタメンを後輩に譲った3年生の部員たちも同じ気持ちだった。 Bチームが強くなければ、Aチームが強くなれない。彼らは決してAチームの練習相手という存在に甘んじたりはしなかった。「お前がやらないなら俺がやる」と、日々の練習を通して体でいつも伝えてきた。一つひとつのタックルに「ハナ、ミドゥム、スンリ」の思いを込めてきた。 タックルを決めるには血の滲むような反復練習と勇気が必要だ。選手たちが花園の舞台で繰り広げたタックルは軽くなかった。選手たちが自負する「魂のタックル」は、強い絆によって生まれたのだ。
「四位一体」
「史上最弱」と言われた3年生だが、彼らは中級部3年の時、大阪市の大会で3位に入賞したという実績がある。しかし、「心、意識レベル、覚悟が弱く、他力本願か利己的な選手ばかりだった。融合が必要不可欠だった。逆に融合すれば、強いチームになる手応えはあった」と、呉英吉監督は振り返る。 大阪朝高ラグビー部OB会の金衛会長も、「決して弱いチームではない。(府予選決勝を控えた)和歌山合宿で団結力と勝機を見た」と言う。3年間、選手たちのサポートに徹してきたからこそ言える確信に似た思いだった。 大阪朝高ラグビー部には、ラグビー部OB会、父母会、父母OB会の3つの後援団体がある。「四位一体」となり花園を目指してきた。 同部は72年、ヤンチャな生徒たちを集めて創部。 初代監督の金鉉翼さんは、「(朝高は)恐ろしい相手だと練習試合さえままならなかった。それでも約束を果たす一念でチームを立ち上げていった」と話す。 「約束」とは、恩師である朝大・全源治名誉監督のもとに集まったラグビー部員たちが、朝大卒業後に「各地の朝高にラグビー部を作って中央大会をやろう」と誓い合った言葉のことだ。 「約束」はその3年後に果たされる。奇しくも大阪朝高で初の中央大会が開かれた。「全国大会」への出場権さえ叶わなかった当時、「花園にもっとも近くてもっとも遠い」と言われた大阪朝高が、「全国大会」への出場権を得た今、全国3位という実績を残した。花園への夢は時代を越えて受け継がれてきた。 OB、父母たちは選手たちを信じ、協力を惜しまなかった。 3年前からチャリティーコンペを開催。初回は200人が集まった。 また、日々の食事も目に見えない大切なサポートだ。身体作りのマニュアルも先代から進化しつつ受け継がれている。 金衛会長は、「『ワンフォーオール・オールフォーワン(1人は皆のために、皆は1人のために)』は試合に出場する15人だけでは成り立たない。選手だけではなく、それぞれがチームとしてできる最高のパフォーマンスを行ったとき初めて達成される。縁の下の力持ちとしてできうるすべてをするだけだ」と語る。 金鉉翼さんは、「みんなを信じて鍛えるだけ鍛えてほしい。流した汗と血、涙が人を大きく成長させてくれる」とエールを送る。 選手たちは、誇り高き礎たちの、そのすべての思いを胸に表舞台に立ったのだった。 大阪朝高ラグビー部の「チーム」の範囲は広い。OB、父母たちが現役選手たちの名前をみんな知っていることがその証。「ハナ、ミドゥム、スンリ」は大阪のラグビーに賭けるすべての者たちの公用語だ。 [朝鮮新報 2010.2.10] |