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〈朝大 朝鮮歴史博物館-15-〉 朝鮮時代の展示物

訓民正音や測雨器、亀甲船

 朝鮮(1392年〜1910年)はおよそ500年間続いた王朝である。「威化島回軍」を
機に実権を握った李成桂は、高麗最後の王である恭譲王を追放し王位に就いた。そして国号を朝鮮と改め都を漢陽(ソウル)に遷したのである。朝鮮歴史博物館シリーズの最終回となる今回は、朝鮮王朝時代の展示物を紹介することにする。

世宗時代の文化興隆

朝鮮時代の展示物

 朝鮮では第4代世宗(在位1419年〜1450年)の時代に文化が大きく花開いたと言える。彼は王室直属の学術機関である「集賢殿」を設け、学者を集めて学問を奨励する政策を推し進めた。その結果、測雨器、日時計などの天文観測器具が発明され、「高麗史」や「農事直説」、「医方類聚」などの書物が数多く出版されるようになった。

 この時代の文化を語る上で見逃すことができないのはやはり訓民正音の創製であろう。1444年1月(旧暦1443年12月)につくられた朝鮮民族固有の文字である訓民正音は、母音と子音を合わせて28字からなっていた。

 当時の記録をみると「王が自ら諺文28字をつくる。字形は篆書体の漢字にならい、初声・中声・終音を組み合わせて初めて文字になる。漢字や本国の言葉をすべて書くことができる。字は簡要だが転換の仕方ははかりしれない」と書かれている。簡単な仕組みながらすべての言葉を表現できる優れた文字という自負がよく現れていると思う。

 当館には測雨器の模型や訓民正音に関するパネル資料が展示されている。来館の際に見てほしいと思う。

李舜臣と亀甲船

亀甲船(模型)

 このコーナーで一番人気が高い展示品は、中央に配置された亀甲船であろう。1592年に始まった豊臣秀吉の侵略に抗する「壬申倭乱」の際、李舜臣率いる全羅道水軍は制海権を握り戦争の勝利に大きく貢献した。ここで活躍したのが亀甲船である。

 この船は長さ34メートル、幅4.5メートルほどの大きさで、船体の左右それぞれ10カ所に櫓を漕ぐための穴があいている。また龍頭をあしらった前方と後方および左右の側面には、都合72個の砲門があって前後左右に大砲を撃つことができた。そして板で覆われた甲板には無数の刀や錐を剣山のように配し、船上に飛び移る敵を防いだのである。亀甲船は船団の先頭で砲撃しながら敵陣に突進する役目を果たしたようだ。

 現在展示されている亀甲船は2006年にデビューしたものであり、役目を終えた以前の亀甲船は資料室で「隠居」してもらっている。今度2艘並べて展示してみようかと思っている。

 朝鮮新報社編集局の配慮で朝鮮歴史博物館の解説記事を15回に分けて連載させて頂いた。講義とは勝手が違うこともあり、不十分な解説になったのではと心配したことも多々あった。そのことを承知でご愛読してくださったすべての方々にお礼を申しあげたい。(河創国、朝鮮歴史博物館 副館長−終わり)

[朝鮮新報 2010.12.24]