〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たち23〉 「湖東西洛記」を批評−金鏡春 |
「知性史の一つの収穫」 古典文学の不毛地 金鏡春は、見聞録「湖東西洛記」の著者金錦園の妹であり、「湖東西洛記」にその批評文を「湖東西洛記―訂」として寄せた女性である。「湖東西洛記」とは、金鏡春の姉金錦園が金剛山、関東八景と雪岳山を縦走、漢陽地方に至った旅の見聞録である。 朝鮮王朝時代、漢文で文学活動をした女性の作品のほぼすべてが創作であったことを考えると、金鏡春が書き残した「湖東西洛記」の分析は、古典女性文学の不毛地と言われる「批評」ジャンルの存在を示してくれる稀有なものだろう。鏡春は姉錦園の近くに住みながら、彼女が主催した詩会に参加した5人のうちの一人である。鏡春と錦園の年齢差は確認されてはいないが、19世紀の女性であることはほぼ間違いないだろう。
独占する男と比較
金鏡春の「湖東西洛記」分析の柱は、文学を「心」の表現ととらえ作品から作家の意識を抽出することと、文章の構成に対する関心である。彼女は錦園の作家意識を次のようにとらえ、「湖東西洛記訂」に詳しく書いている。 「(錦園が)女に生まれて珠玉のような才能を持っていながら見聞を売る(世に出る)ところがなく、詩文と書画で産業を為し、山水、風月、烟雲、花鳥で家を為し、日々その中で仰向けに伏し詩を詠じながら嘯き、ただ胸中に溢れる煩悶と寂しさを紛らわせた」(…奈其生為女子、握珠抱玉、無所見售、則以詩文書画為産業、以山水風月烟雲花鳥家室、日偃仰嘯詠于其中、聊以洩胸中懣然無聊之氣…)
文学とは心の表現であり、同時に心を浄化する役割も果たしていると、評者の視点で語っている。また、彼女は錦園の文学的成果が他人との切磋琢磨によってなされたものなのではなく、天賦の才能ゆえだと強調している。文学とは作られるものではなく、自然な「心」の発露であるとも書いている。
「その文は思索を巡らせなくとも、口を衝いて出て文章になる」(其文也、不勞思索、衝口成章…) また鏡春は錦園の「湖東西洛記」について、「首をすぼめて文章を書き、筆先を腐らせ、墨を吸う者(作文に苦心する者)が、及ぶものではない」(非屈首章句腐毫吮墨者所可及也)と評している。それは、才能も見識も備えていないにもかかわらず世の中を独占する、「無能な」男性を引き合いに出し、比較の対象として論じ、才能があったとしても世に出ていけない錦園の鬱屈した思いに共感を示していると言える。姉錦園の見聞録の中に、男性との対決意識があることを見て取った結果であろう。 文の構成については、「冒頭と文末の調和」に触れ首尾一貫した構成を評価し、内容においては「冒頭とは違った文末の変化」を指摘している。すなわち、世に出ていけない不満を冒頭で切に書いていながら、旅の終わりには「男装をやめて常識的に生きる」とした錦園の文章の内容の変化について指摘しているのである。 「文とは心の発露」 鏡春は、欲望や希望、不満や葛藤など、「湖東西洛記」に表現された作家の一連の意識の変遷をすべて「心」という単語に収れんさせた。「文とは心の発露」(文者心之所發)という概念は、当時の男性の手になる文学論とは一線を画すものだった。彼女の言う「心」とは、喜怒哀楽の自然な発露としてのものであり、男女に関係なくすべての人間が共有する「情」であると。それは、文学活動において男女や階級の区別はないということを示している。姉の見聞録の後ろに「跋文」という短い形式で書かれたこの評論は、単純に「湖東西洛記」の評としてだけの価値を持つものではなく、「女性知性史のひとつの収穫」(「朝鮮朝後期女性知性史」李恵順、梨女子大学校出版部)として語られるべき特別なものなのである。(朴c愛・朝鮮古典文学、伝統文化研究者) [朝鮮新報 2010.12.17] |