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〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第11回 中島敦(中)

被支配者からのまなざし

「女性国際戦犯法廷」10周年シンポで日本軍性奴隷制について証言する被害者たち

 中島敦に関し原稿の続きを構想していたさなかの12月5日、昭和天皇に有罪判決を下した唯一の民衆法廷である「女性国際戦犯法廷」から10周年の国際シンポジウムが東京外国語大学にて行われた。アジア各地からの旧日本軍「慰安婦」たちが語る被害体験の生の声を、はげしい痛覚と怒りをもって聞いた。戦時性暴力の残虐さはもちろん、奪われた尊厳を取り戻し、あくまでその責任を追及してたたかっていく強靭な意志にあらためて立ち会えた貴重な時間だった。また高齢で年々亡くなっていくハルモニたちの呼びかけに現在世代がいかに応えていくかという実践への問い、何よりほかならぬ被害者女性たち自身から、絶望的な現下の状況にあっても決してあきらめない勇気を得た。

 暴力の被害者たちの声をいかに「記録し記憶する」か。それは「法廷」、そして過去10年間のたたかいの重要なテーマであるが、前回紹介した中島文学の主題である「言葉と権力との関係」を思い出す。「山月記」とまとめて書かれた「文字禍」という作品がある。古代アッシリアで、文字の精霊とその「害悪」について調査する老博士が、文字の霊に復讐され、大量の重い粘土板(まだ紙が発明されておらず文字は粘土に刻まれていた)の下敷きとなり圧死するという物語。作中にこんなくだりがある。若い歴史家が老博士に尋ねる。歴史とは何か? 歴史とは、昔起きた事実をいうのか? それとも書かれた文字のことをいうのか? この問いに老博士はこう答える。「書かれなかった事は、無かった事じゃ。……歴史とはな、この粘土板のことじゃ」と−。

 「書かれなかった事は、無かった事」−こんな言葉から、決して「文字」化して記録されることなく闇に葬られようとしていた被抑圧者の「声」が、沈黙を破り私たちに届けられた意味、他方この10年間日本の教科書から「慰安婦」記述が削除される事態など、歴史の反動が噴出し、「記録」すなわち歴史叙述をめぐる熾烈なたたかいがくり広げられてきたことを想起せずにはいられない。中島敦をして、このような歴史叙述をめぐる問題意識を育ませた原点には、植民地朝鮮および中国における体験があったはずである。

 中島は初期の習作「巡査の居る風景―一九二三年の一つのスケッチ―」「プウルの傍で」に、植民地で最下層に生きる朝鮮人娼婦を描いている。ところで植民地における「遊郭」とは、宗主国男性の民族的かつ性的優位性を確認させてくれる、人種と性による二重の支配が公然と行われる場所であった。一次二次産業から排除された大量の植民地女性たちが、総督府権力によるシステマティックな公娼制度へと追いやられ、それは娯楽産業として植民地経営の財源ばかりか、「内地」においても地方税の大きな財源となった。何より「売買春政策は植民地主義の本質」(早尾貴紀)であったのだ(戦時性奴隷制もまた、前述のシンポジウムが副題に指摘する通り、「性暴力、民族差別、植民地主義」というさまざまな暴力が輻輳しながら行われたという認識が重要である)。

 他方、本連載で以前紹介した高浜虚子「朝鮮」に安重根の写真を隠し持つ娼婦が登場したように、植民地朝鮮の「遊郭」「娼婦」は、抗日独立運動と結びついたイメージが非常に強かったという。中島も前者の作品の結末で、抵抗者の影を書き込んでいるのである。

 中島は先の2作品で日本に渡り関東大震災で夫を虐殺された朝鮮人娼婦や、遊郭にて出会った幼い娼婦のことを描いた。詳しくは次回に譲りたいが、注目すべきは、彼女たちを見る日本人男性(中島自身)が、逆に彼女たちからまなざしを送り返されていることだ。

 性的対象、支配対象として、相手を一方的に「見る」側から、「見られる」側へと立たされる時、被支配者からのまなざしを意識することで、自己認識をゆるがされる植民地支配者男性。このまなざしの逆転は、他者の視線を消去しもっぱらナルシシズムに自閉する今日の日本が、朝鮮から、何より元「慰安婦」たちから、どのように見られているかということにも、おそらく通じている。(李英哲・朝鮮大学校外国語学部准教授)

[朝鮮新報 2010.12.13]