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南北コリアと日本のともだち展 「未来を担う子どもたちのきずな」

10年間に3千人以上が参加

東京・平壌・ソウルを出発点に子どもたちの絵が合流する「おまつりひろば」

 東京ウィメンズプラザ(東京・青山)で開かれたトークイベント「ともだち展くりむ・とーく」(4日、主催=南北コリアと日本のともだち展実行委員会)には、日本各地からたくさんの関係者が詰め掛けた。

 集いでは、10年目を迎えた「ともだち展」を振り返り、同実行委員の山本俊正さん(関西学院大学教授)が基調講演を行ったほか、今年の共同制作「おまつりひろば」について絵本作家の浜田桂子さん、朝鮮学校美術教員の金聖蘭さん、ともだち展事務局長の筒井由紀子さんがそれぞれの思いを語った。リレートークでは、過去10年間ともだち展に関わってきた人々が次々に感想を述べたほか、朝鮮からのビデオメッセージも紹介された。

ともだち展の10年

朝鮮から届いた「10年後のわたし、未来のせかい」

 「21世紀を平和な世紀にしたい」との思いからスタートしたともだち展は、2001年、東京・平壌・ソウルで初めて開催された。山本さんは、その前史として95年に朝鮮を襲った大雨による洪水災害と人道支援活動があったと述べ、その中でともだち展の仲間である南朝鮮のNGO「南北オリニ・オッケトンム」と運命的な出会いで結ばれたと話した。そして、「この10年間、『拉致問題』など、マイナスのイメージによる逆風にもかかわらずともだち展が続いたのは、人道支援の思想が根付いたからだ」と語った。

 筒井さんの話によると、過去10年間に東京・平壌・ソウルを往来した子どもは延べ180人。各地でワークショップに参加した子どもは1千人を超えるという。絵を出品した子どもは3千人以上。山本さんは、「いつの日か、朝鮮半島に平和が訪れ、南北が統一される時、日本と朝鮮の国交が回復されるとき、ともだち展の歴史は未来を担う子どもたちのきずなの中で、さらに輝きを増すだろうと確信する」と話を結んだ。

「おまつりひろば」ができるまで

ともだち展の歴史を振り返るパネル

朝鮮から24点、中国(延辺朝鮮続自治州)から28点、南朝鮮から51点、日本から217点が寄せられた

 浜田さんは、「子どもに絶対的な信頼を寄せている」絵本作家である。「未来を生きる人たちは、希望を持たずして成長できない」からだ。朝鮮の小学校では、共同制作に取り組む子どもたちのひたむきな姿に胸を打たれた。「校長先生も子どもの心に寄り添っていて、子どもの心を一番に考え教育されている姿が印象的だった」。そして、「どの子も、先生も、平和と統一を願っていて、『鳥になったら飛んでいけるのに』と話すとき、本当にそうだなあと思った」と話した。

 絵本の読み聞かせでは、後ろにいた子どもたちが前に詰め掛けてきて楽しむ姿にうれしさがこみ上げたという。「肌の色、髪の色、目の色も同じだけに、ヨーロッパの子どもと接するのとは違った」感じがしたと語る。

 浜田さんは、日本・中国・南朝鮮の絵本作家、編集者と共に、「平和絵本」の製作にも取り組んでいる。来春出版される自作の絵本のタイトルは「へいわってどんなこと?」。子どもの目線に立って平和について考える中で、「悪いことをしたときは、『ごめんなさい』と謝るのは大切なこと」との一節を加えたエピソードを述べた。

平壌からのメッセージ

各地で行われたワークショップを紹介

 集いでは、ともだち展に関わってきた人々のリレートークが行われる中、朝鮮からのメッセージも紹介された。

 10年間ともだち展に協力してきた綾羅小学校のアン・オクポ校長は、「朝鮮の子どもたちの考えや気持ちを絵に込めて、日本や南朝鮮に伝えた意義は大きい。絵画展の開催は、私たちにとっても子どもたちにとっても良い経験だ」と話した。

 現在、平壌外国語大学に通うソン・ミソンさんは、朝鮮学校の子どもたちと一緒に等身大の自画像を描いた楽しい思い出を振り返り、「日本で暮らす友達がどのように勉強しているか見てみたい。いつか日本にも行ってみたい」と夢を語った。

 リレートークでは、日本・南朝鮮・在日同胞の学生たちも発言した。彼らは「ともだち展参加当時は小学生だったので、ただ出会って一緒に遊び絵を描くのが楽しかった。大学生になった今、この企画の意図をあらためて噛み締め、朝鮮半島の統一と日朝国交正常化について考えている。これからもこの素敵な活動を続けてほしい」と話した。(文−金潤順、写真−盧琴順)

[朝鮮新報 2010.12.10]