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くらしの周辺−植民地支配と分断をつなぐ

 「韓国併合」から100年。そして分断。私たちにとって決して忘れてはならない大切な事実。

 それは、植民地支配からの解放と独立という1945年以後の朝鮮現代史が、解放された朝鮮の側が連合国によって分断され、引き続く暴力の現場を強いられてきたことであり、そればかりか、前支配国である日本が連合国占領下に、朝鮮分断の受益者として、前支配体制の解体を免れることによって、著しく非対称な東アジア現代を形作ってきたことだ。

 1945年以後のこの原初的な非対称関係が規定してきた史的条件にこそ、在日朝鮮人史の固有の歩みが存在する。

 植民地支配をされた側が分断されることによって、帝国主義国の敗戦責任を旧植民地の側に負担させているというべき状況。朝鮮分断の受益者として蓄積された富。現在の日本政府・自治体の朝鮮分断化(外交、教育など)もこの線上に位置するものであるとともに、帝国主義国の側こそが分断を促進させていることが、疑問なく蓄積されてきた。逆説的に言うとき、その分断的あるいは敵対的立場には、植民地支配責任に対する非和解的なコンプレックスが存在する。

 原初的な非対称関係、蓄積された史的条件−前支配国である日本で、朝鮮人(チョソンサラム)として生きることの困難性。

 植民地支配をされた側が分断されたことの意味。この痛みの意味を掘りさげること。いま生きることの困難性を、生きる希望にしていく力はきっとここにあるだろう。(鄭祐宗・大学院生)

[朝鮮新報 2010.12.3]