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〈渡来文化 その美と造形 35〉 硯A−多様な形態

獣脚円面硯(百済、扶余錦城山王朝寺出土/これと相似の硯が奈良県明日香村石神遺跡から出土している)

 墨≠すり、筆で文字を書いたり絵を描くのは朝鮮、日本、中国特有の文化である。その墨をする道具が「硯」である。

 平板な石などに煤をすって墨≠作る道具として始まったものが、須恵器、陶製、石製の「硯」として発展し、その過程でさまざまに形象化されていった。

 硯の材料は石、須恵器、陶器、瓦などで、その形は円面硯・楕円硯・風字硯などや、羊、亀、花、宝珠などをかたどったものがある。また、硯の本体に三足、圏脚、蹄脚、獣脚などの脚台を付けたものもある。

 日本で須恵器製の硯を本格的に製作するようになったのは6世紀末頃以降のことである。

 その形から、風の字のような姿の風字硯と呼ばれる硯が、「良弁硯」として東大寺にある。縦14.5センチ、横12センチのこの硯は、僧・良弁(百済の渡来人)が愛用したものと言われ、正倉院宝物の中にもこの種の硯が納められている。

 風字硯は、硯の前方と手前が平らで真っ直ぐ、手前がやや広く全体にわずかに反りがあり、裏面には脚がなく平らであるものが一般的である。墨をする部分(陸)と墨汁のたまる部分(海)の境が明確である。

 律令制度の発展とともに役所では多くの文書が作成されるようになり、それが中央からやがて地方の役所へと拡大し、それとともに硯の製作も盛んになり、また、その形態も多様になる。

 円面硯は役人が使用したもので、大型のものは直径30センチを超え、平城京跡をはじめとして、地方の役所跡などからも出土する。

 この円面硯の脚台を、圏脚、獣脚、蹄脚などにかたどったものがある。

 獣脚硯の台は、一般に、多数の獣脚で隙間なく周囲を取り囲むものが多いが、時には獣の脚三本で台脚としたものなどもある。

 百済や新羅では6世紀中頃には獣脚円硯がすでに見える。

 面白いことに、日本で百済や新羅の円面硯が数点発見されている。

 一例を挙げてみると、奈良県明日香村石神遺跡出土の獣脚円面硯は、百済の扶余錦城山朝王寺出土のそれと酷似し、百済製か百済系渡来人技術者―工人の造ったものと見てよいであろう。

 何のこともない土くれが、工人たちの知恵と技術によって目的に応じた形を与えられ、千数百年後の今、自らの存在を明示している。歴史的時間を越えてきたその多様な造形に感心したりする。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表、権仁燮・大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.11.29]