top_rogo.gif (16396 bytes)

〈本の紹介〉 朝鮮の歴史から『民族』を考える

植民地主義克服 真摯な研究成果

 「民族」「ナショナリズム」に関しては、盛況な議論のわりに認識が深まっているようには思えない。「ネイション」が「想像の共同体」だといっても、想像を成り立たせる歴史的な前提と、それが人々の心をとらえ状況さえ動かすにいたる現実的な基盤の解明こそが重要であろう。具体的な歴史展開に即した「民族主義」の追究が不可欠なゆえんである。

 朝鮮の歴史から民族を考えようとする本書は、07年から翌年にかけて本紙に連載された文章を軸に、関連する諸論考をあわせて一冊にまとめたものである。

 著者は、「民族」が多方面からの検討を要する多義的な概念であること、ナショナリズムには進歩と反動が同居し、肯定的・否定的な両側面が包含されていることを指摘し、その問題性を絶えず意識していかなければならないのだと注意を促す。そのうえで、否定的な評価ばかりが強調される近年の風潮に疑問を呈している。

 東アジアの近現代において、民族の問題は、何よりも日本による侵略・支配と密接にかかわって深化し、冷戦構造のなかで継続・再生産されてきた。ナショナリズムの「敵対的共犯関係」を強調する「脱ナショナリズム」の主張に対して、著者は「帝国主義と植民地、侵略と被侵略の決定的な差異を見ない、非歴史的な認識」であり、「ナショナリズム相対化の名のもとに帝国主義、植民地主義などに関わる歴史的諸問題が不問に付され、さらに免罪されてしまう論理構造」だと批判する。「帝国主義化したナショナリズムと抵抗ナショナリズムとは同じにはできない」のであり、「被抑圧者が抵抗のためにナショナリズムを必要としている状況、それを克服しようという意思と方向性」への配慮が不可欠なのだという。「植民地主義が今なお継続しているときに、ナショナリズムが果たす積極的な役割を、それぞれの歴史的な文脈のもとで考えることが大切」なのだとする主張は説得的である。

 この意味で、「東アジア地域における植民地主義と冷戦・分断の矛盾の集約した存在」「祖国の分断と日本社会の民族差別によって、いまだに二重三重にも引き裂かれた状態」にある在日朝鮮人は、まさに「民族的な存在」と言わざるをえず、「民族」に対する理解は「そのまま自己認識につながる最重要の問題」なのだという。

 本書は、「在日朝鮮人社会を規定し続けている植民地主義、冷戦体制を克服することを人生の目標としてきた」筆者による、「日本社会の民族差別と朝鮮半島の分断という状況のなかで私たち在日朝鮮人が生きる積極的意味を、いかに見出すかという問題」についての真摯な追究の成果なのである。

 東アジアの中で朝鮮近代の歴史をどのようにとらえるか。開化派による改革運動や甲午農民戦争、大韓帝国のとらえ方、保護条約の合法・不法論や安重根研究の動向、三一運動における民族代表の評価、さらには近年の「植民地近代化論」「植民地近代性論」の問題点にいたるまで、研究上の論点を読みやすい文章で、バランスよく的確に整理した質の高い入門書でもある。

 「韓国併合100年」に際し、ぜひとも手にしていただきたい書物である。(康成銀著、明石書店、TEL03・5818・1171、3000円+税)(吉野誠・東海大学文学部教授)

[朝鮮新報 2010.11.26]