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〈渡来文化 その美と造形 33〉 硯@−羊型硯

羊型硯(平城京跡出土、写真はレプリカ)

 文字を記録するためには紙、筆、墨、そして墨をする道具である硯は欠かせない。その硯が日本で出土するのは6世紀末頃からである。円形、花弁形、楕円形、「風」字形と多様で、8世紀に入ると鳥や羊などを形象した硯も出現する。

 ところで、その羊を形象した須恵器の硯が平城京跡から出土した。それは羊の顔面から頭部にかけての部分で、長さ約12センチ、幅は約12.5センチである。

 口や鼻、目、耳とともに、頭の頂の両側面には角の付け根部分と角の先端部分の形が残る。

 顎にはひげが線刻され、喉元からは7本の毛が下に向かって彫られている。首筋には波型の曲線が彫られており、これは、羊の巻毛を表現したものと考えられる。

 硯の本体部分である首の付け根から下の部分は失われているが、付け根の部分の内側に凹ませた跡がはっきり残り、また墨の痕跡が残っていたことから、ここが墨汁をためる「海」の部分で、羊の胴体の部分が墨をする「陸」の部分であったと考えられる。

 他の鳥や動物をかたどった硯の例や、出土した羊の頭部の大きさなどから、「陸」の部分は20〜30センチほどの長さになるものと思われる。

 奈良県大和郡山市からも羊型の硯が出土している。顔の長さ7.5センチ、目と鼻の間は3.5センチで、右の角はなく、左の角も根元から2.5センチのみ残っており、硯の本体は発見されていない。

 「日本書紀」推古7(599)年条に、らくだやロバとともに羊2頭が百済から日本に贈られたことが記されている。

 とは言うものの、送り主の百済自体が羊についてよく知っていたかどうかは相当怪しい。馬についての記録は数多いが、羊については皆無に近いのであるから。

 一方、日本では貴族や高級官吏らが、今まで見たことのない珍稀な羊を目にし、「メー、メー」という鳴き声や、パンチパーマのような毛並みに驚いたであろうし、好奇心をそそられて座右に備える硯として形象化した、と考えられようか。

 百済で同形の硯は未発見ではあるが、まったく同形の青磁の羊の器(高さ13.3センチ)はあって大変興味深い。

 古代日本で羊を形象化したものは数点ある。

 日本への文字=漢字の伝来は、百済の人・王仁博士を始まりとする伝承もあり、いずれにしても文字=漢字の本格的伝来は朝鮮を通じてのものであり、その際、必須の文房具である硯もともにもたらされたことは間違いないであろう。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表、権仁燮・大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.11.15]