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〈渡来文化 その美と造形 32〉 天寿国繍帳 残欠

人物像、絹刺繍、額装、縦88.8センチ、横82.7センチ。国宝(奈良国立博物館)

 奈良県斑鳩町・中宮寺に天寿国繍帳の残欠がある。現在は残欠であるが、本来は縦約2メートル、横約4メートルほどの帳2枚を横につないでいたものと考えられる。

 622(推古30)年に聖徳太子が没した後、太子の妃・橘大郎女が、天寿国における太子の様子をせめて刺繍ででも偲びたいと製作させたもので、本来は二帳あった。その詳細は、100匹の亀の甲に刺繍された各4字、合計400字の銘文によって知られる。銘文の前半は聖徳太子一族の系譜を述べ、後半は制作の由来と作者について説明している。

 現存の亀甲は、帳に残る4点と、別に保存している1点と合わせて5点であり、文字は20文字である。

 ところで、刺繍には下絵が必要である。銘文に、東漢末賢、高麗加世溢、漢奴加己利がその下絵を描き、総指揮は椋部秦久麻が執ったと記されている。それぞれ、高句麗、百済、新羅出身の画家たちと絵画に関わる渡来人である。

 刺繍の図柄は、宮殿を模した建物とその上下に連珠文、天寿国の宝池、阿弥陀仏の台座の一部と思われる蓮弁、パルメット文、鳳凰、亀形、飛雲などや、人物群像、中に兎がみえる月、太陽、鐘楼で鐘をつく僧侶など、多様である。

 その中でも、人物像の服装は、男女とも丸い襟に筒袖の上着、下半身には男子は袴、女子は緩やかに末広がりになった裳を着けていて、大変特徴的である。袖先・上衣の下端・スカートの裾につけられたプリーツ(・という)、多色のデザインのスカート、左衽などは、高松塚古墳壁画の女人像にも見られ、それは高句麗の古墳壁画−例えば水山里古墳壁画(5世紀後半)、双楹塚壁画(5世紀末)などの女人像−にその源流がある。

 文章を刺繍する例は新羅にも見られる。『三国史記』真徳王4(650)年6月条に、「王、錦を織り、五言太平頌を作り、春秋の子法敏を遣わし、以て唐の皇帝に献じ」たとあって、「大唐開洪業…」から始まる100余字の「頌」全文が記録されている。

 さても、渡来人の技術が千数百年後の現在まで残った、偉大なことではあるまいか。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表、権仁燮・大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.11.8]