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若きアーティストたち(76)

音楽で広まる同胞社会の輪 「民族の素晴らしさ、歌で表現」

歌手 李允彰さん

 初・中級部の頃はサッカー部だった李允彰さん。音楽に特別な興味があったわけではなかったが、学校で文化祭や行事があるとよく独唱歌手として舞台に上がっていたという。何度かそういう機会が重なり、「歌が上手」という噂が他校にも広がっていった。

 高級部1年の初め、音楽の時間に李さんの評判を耳にしていた級友の中から突然「独唱コール」が上がり、しかたなしに1曲披露した。授業の後、李さんの歌いっぷりに驚いた教員から、年に一度夏休みの間に朝鮮で行われる通信教育(日本各地で芸術系の部活に所属する朝高生たちが約1カ月間祖国の専門家たちに指導を受ける)のオーディションを受けてみないかと薦められた。

 当日の1週間前に聞かされ急いで準備したものの、みごと合格。祖国での生活、授業内容などをほとんど知らないまま初めて専門的な音楽の世界へと足を踏み込むことになった。

 授業は声楽、音楽理論、律動、聴音・視唱、チャンダン(朝鮮のリズム)など。歌の練習をする暇がないほど毎日課題に追われた。「それでもやることすべてが新鮮で楽しかったし、音楽をじっくり習えるいい機会だった」と当時を振り返る。

 授業のあとや休日には、朝鮮で名高い楽団の公演や市内観光、アリラン公演を観覧する機会にも恵まれた。そのすべてが李さんにとって貴重な経験となった。

 「何も知らない生徒に祖国の先生たちはたくさんの愛情を注ぎ、一つひとつ教えてくれた。今の自分があるのはあのときのおかげ。指導してくれた先生、一緒に苦楽を共にし支えてくれた友人に今でも感謝している」

 3年間の通信教育を終え、朝高卒業を目前にもっと歌を歌いたい、習いたいという思いがふくれあがっていった。

ディナーショーで豊かな声量を披露する李さん

 日本の大学のパンフレットや願書をいくつか取り寄せてみたが、「日本の大学に行けば技術的には成長できるかもしれないが、そこで朝鮮の歌、民族の粋は習えない」と、卒業後1年間悩んだすえ朝鮮大学校への入学を決意した。

 「朝鮮の歌を歌いたい」。その思いだけを胸に朝大の門を叩いたが、教育実習、祖国訪問など、あらゆる経験を重ねるなかで、音楽を通じ在日同胞の力になれる仕事がしたいという思いが次第に募っていった。

 2008年4月、東京朝鮮歌舞団へ入団。

 入団早々1週間後には、総聯東京・城南支部の花見の舞台に立っていた。

 観客とのあまりの近さに驚き声の震えが止まらない。しかし、目の前に広がる同胞たちの笑顔、弾けるような歓声のおかげで、緊張感は歌う喜びに変わっていった。

 その日から今日までの2年半、あらゆる舞台に立ち同胞たちからの声援を間近で受けながら、歌う人も聴く人もお互い一緒に楽しめる空間を作れるよう日々努力を重ねている。

 また、居住支部での行事で合奏の指導をしたり荒川女性顧問の歌のサークル、台東支部カラオケサークルの指導なども積極的に担い、同胞社会に根づいた活動を広げている。共に楽しみ、学び合う日々。そのなかで同胞たちの輪が少しずつ広がっていることを実感している。

 「今後は日本のコンクールや『2.16芸術賞』にも挑戦してみたい。目に見える目標を設定して技術をさらに高め、曲に込められた思いと自分の感情を上手く融合させながら表現していきたい。そして朝鮮の素晴らしさを音楽で同胞たちに伝えていきたい」(文と写真・尹梨奈)

※1986年生まれ。東京朝鮮第5初中級学校、東京朝鮮中高級学校高級部、朝鮮大学校教育学部音楽科卒業。現在、東京朝鮮歌舞団で活動中。

[朝鮮新報 2010.11.8]